立教女学院短期大学(東京都杉並区)主催の公開講座「戦時下の教育とキリスト教主義学校-立教女学院の抵抗と妥協-」が19日、同大校舎で行われた。学内外から集まった40人を前に、同大准教授の高瀬幸恵氏が、普段見ることができない貴重な史料やVTRを用いながら、戦時下の教育が目指したことと共に、日本のキリスト教主義学校の妥協について話した。
高瀬氏は、「近代日本の教育と戦争」ということで、明治時代初期までさかのぼり、近代日本の教育がどのようにスタートしたかを説明した。1872年に公布された日本初の全国統一の教育制度により、初めて「教科」による学習が行われるようになった。この中で道徳教育も「修身」という教科で教えられ、戦後GHQにより廃止されるまで、長い間日本の学校教育に非常に重要な科目として置かれることになる。
この「修身」を教えていく上で重要な文書が「教育勅語」で、天皇の言葉として教育の方針が示されていた。この「教育勅語」は1890年に発布され、修身の教科書に載っているだけでなく、原本の写しを全国の学校に配布し、大切に保管されていた。生徒たちは、暗唱したり、筆写したりして覚え、国民意識の形成に欠かせないものとして使われていた。
高瀬氏は、1937年に発行された第4期国定修身教科書、第4学年用、『尋常小学修身書巻四』の巻頭に記載されている「教育勅語」を見ながら、そこに書かれている内容を説明した。そこには、守るべき15の徳目が書かれており、親孝行をするとか、兄弟仲良くとか、勉強をしっかりしなさいなど、現在でも使えそうな部分もあるが、「これらは、皇位を引き継ぐものである神のなせる業を助けるという目的に向かっている。こういった論理構造に着目すると『教育勅語』は、現在の日本にあっては使えない」と語った。
次に、戦争時の教育の全体像について話した。太平洋戦争を背景に1941年、国民学校が発足した。国民学校は、「教育勅語」に示された「皇国をお支えする」という教育目的に基づいて運営され、学校内外において子どもたちの心身を鍛えていくという「錬成」が重視されていたことを説明した。続いて、国定修身教科書の中に、お茶の間での母子のやりとりがある一方で、その次のページには戦争の様子が載っていることなどを通して「日常的な心の在り方や、ふるまい方が含まれているが、侵略や戦争を肯定する国民意識の形成も見て取れる」と話した。
この後、当時の国民学校の様子を軍部が撮影したVTRを紹介した。同様のものはこのVTRを合わせて2本しか見つかっておらず、この日紹介されたのは、1944年に横浜市西前国民学校を撮影したもの。見終わった後、高瀬氏は実際に国民学校を体験した寺﨑昌男氏(東京大学名誉教授)の文章を引用し、「戦時下の教育において子どもたちは燃えていた」と述べ、「学校も社会も一体となって時代の精神を作り上げ、その中で子どもたちは精いっぱい生きていたと理解できるのではないか」と語った。
続いて、立教女学院資料室が所蔵する史料をもとに、戦時下ミッションスクールであった立教高等女学校について話をした。1877年に柔軟性を特色とするアメリカの聖公会によって設立された立教女学校は、1899年に正規の高等女学校の認可を東京府から得るために、キリスト教主義を学則で積極的に謳わないようにしていたことを明らかにした。
また、同年に正規の中学校や高等女学校等において宗教教育を禁止する法令(文部省訓令第12号)が出された時、同学院と同じくアメリカ聖公会によって設立された立教尋常中学校(立教学院)はアメリカ聖公会の特徴である柔軟性を生かし、正規の学校であることを続け、寄宿舎の中で礼拝をすることでアメリカ聖公会への面目を保っている。高瀬氏は「立教学院の歴史を参照してみると、立教女学院も正規の学校であることを続け、なんとかうまく宗教教育を行っていこうという方針を持っていたことが推測できる」という。ただし、1945年の学則を見ると、その目的にはこれまでなかった「皇国」や「国民の錬成」といった文言が使われ、基本教科も国民学校と同じような編成となっている。
高瀬氏は、当時の立教高等女学校の在学生が使っていた教科書や日記も紹介した。日記には、修学旅行での思い出などが記されており、そこには、屈託のない女学生の様子がつづられていると同時に、敵国への憎しみも共存しており、当時の女学生の心情をよく表している非常に貴重な史料だと強調した。
そして、戦争中、同学院の妥協と抵抗がどのようなものであったかを四つの事柄を通して検討した。一つ目は1938年の財団法人化である。文部省との設置認可のやりとりの中で、キリスト教主義を削除した後が見られる。二つ目は「御真影」と「教育勅語」の受け取りで、東京府との往復文書には受け取れない“言い訳”とも見られる文言が残されており、できれば受け取りたくないという姿勢を見ることができる。三つ目は、「明治神宮奉拝式」への参加で、通知の文書には、参加を迷った跡が朱鉛筆書きで残され、悩みながらの妥協の参加であったことが分かる。
四つ目は礼拝の実施で、礼拝を「修養」の一手段として位置づけることで、事実上、これを継続した。しかし、礼拝前に君が代の斉唱や宮城遥拝(ようはい)を行うなど、本来の宗教的な意味が保たれたのかについては疑問符がつけられると話す。神社参拝を拒否し、弾圧を受けた教会もあったことを考えると、「選択肢はあったが、国の圧力でそうせざるを得なかったというのがキリスト教主義学校の姿ではないか」と語った。
講義の最後に高瀬氏は、2018年に道徳が正式な教科となることに言及し、「今後日本が、さまざまな価値観を受け入れ、認め合っていく包容力のある社会になっていくためには何が必要かを考えたとき、私立学校の役割はとても大きい」と話す。そして、「キリスト教主義に基づく人格形成は、多様な社会を作っていく上で非常に重要になる」「キリスト教主義学校は、戦時下に妥協もしたが、それを反省して、その力を発揮していくのは今なのではないか」と締めくくった。
立教女学院短期大学は毎年この時期に公開講座を開催しており、多くの地域の人たちや卒業生などが参加している。日程などの詳細については、同大のホームページ、杉並区報などで案内している。同講座を毎回楽しみにしているという女性は、「自分も国民学校で学んだので、懐かしい気持ちになった。知らないことも聞けてとても面白かった」と感想を話した。