神自らが実現される働きの任命
互いに優劣を競い争い合ったキリストの弟子たちが、「互いに愛し合う」関係を築くために、神は、イエス・キリストが十字架にかかられる受難の一週間と、その後のキリストの復活の期間を用い、彼らの関係性を劇的に変えていかれ、初代の教会が誕生していきました。
このたびも、その軌跡を追っていきましょう。これは、今日、私たちの人間関係にも深く関わっていくことだからです。
前回の続きです。
「イエスは彼に言われた。『わたしの羊を飼いなさい』」(ヨハネ21:17)
ペテロはキリストの弟子となることに対しての自信を失っていました。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」と言いながらも、つまずいたからです。
自分が信用できなくなりました。自分の将来も不安でした。ところが、そのようなペテロにイエスは、重要な使命を託すと告げました。
「わたしの羊を飼いなさい」。それは、これから生まれるキリストの教会に集まる人々の監督者となることを意味していました。
ペテロのことを誰よりも知っているのは、ペテロではなく、イエスでした。人を恐れ、うそを言ってしまい、復活を信じることができなかった不信仰、弱さ、愚かさを見せつけられている中での任命でした。
ペテロにとってはあり得ないことでしたので、驚いたことでしょう。同時に、弱さや愚かさを痛感する中で「こんな自分でも神は用いてくださる。自分の将来のことまで考えておられた。しかも、イエスの大切な人々を養うというような重大な仕事を与えてくださった」と思ったことでしょう。
神の働きに携わるためには信仰が必要ですが、遣わされる条件は、強さや信心深さではなかったのです。すでに赦(ゆる)しの深さに驚いたペテロでしたが、このことも、想像を超えたイエスの愛でした。
もし、ペテロが「キリストを知らない」と言わなかった成功者であれば、そうは思わなかったことでしょう。しかし、神は、ご自身の愛を彼と万人に知らせるために、「知らない」と言ってしまったペテロを用いられました。
後に聖霊によって、ペテロたちは神の言葉の実現を信じる者になり、「わたしの羊を飼いなさい」と言われた言葉も、自分の力ではなく、神自らが実現していかれることを信じていくようになりました。
今の時代も神の愛と将来のご計画は、人知を超えてあなたにも注がれています。
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。
(イザヤ55:9~11)
【祈り】 私にも、私の想像を超えた神様のご計画があることを信じます。私をささげます、用いてください。
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」
イエスは再び彼に言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」
イエスは三度ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」ペテロは、イエスが三度「あなたはわたしを愛しますか」と言われたので、心を痛めてイエスに言った。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を飼いなさい。
まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
(ヨハネ21:15~19)
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