公益財団法人大阪YWCA(大阪市北区)は21日、社会学者の上野千鶴子さんを講師に迎え、「『私』を生きる~『おひとりさま』で生きるとは~」と題した講演会を開催し、約150人が参加した。「『おひとりさま』とはシングルで生きる人という意味ではなく、自立した個として生きていこうとする人です」と上野氏。会場では、女性の姿が目立ったが、夫婦で訪れたとおぼしき男性の姿もあった。
上野さんは元東京大学教授(現在は立命館大学特別招聘教授)で、女性学、ジェンダー研究の代表的な理論家であり、近年は高齢者の介護をテーマにした『おひとりさまの老後』『ケアのカリスマたち―看取りを支えるプロフェッショナル』など多くの著作を出版、2011年からは女性をつなぎエンパワメントするための認定NPO法人「ウィメンズアクションネットワーク」の理事長としても活動している。
冒頭「最近、家に民生委員の人から訪問の問い合わせがあって、自分が見守りの対象の独居老人であることを知りました」と語ると、会場からは大きな笑い声が起こった。全国の福祉や介護の現場を実際に訪ねて目にした実例を交え、シリアスでリアルながらも、時に関西弁も交えながらのユーモア溢れる"上野節"の講演に、参加者は熱心に耳を傾けた。
死・看取りへの社会の関心の高まり
上野さんは、死や葬式、遺体など、以前は語ることがタブーだと思われていたことについてオープンに論じられることが増えたと述べた。『おひとりさまの老後』を出版して話題となった2007年から現在までの間にも、社会は大きく変わり、今や高齢者の4人に1人が独居している。いまや「おひとりさまは少数派から多数派になりつつあります」と語った。
独居の理由は死別、離別に加えて非婚化だ。統計では生涯非婚率(50歳まで未婚の人の割合)は、男性で約2割、女性は約1割に上る。上野さんと同世代に当たる団塊世代では、女性の非婚率は約3パーセント、ピークだった1960年代には生涯結婚率は男性97パーセント、女性98パーセントだったという。20年後にこの比率は、男性は3人に1人、女性は5人に1人になると推測されている。「全員結婚社会は終わりました」と上野さんは話す。
家族の形も急速に変わった。かつて日本では、女性は当然のように家族介護の担い手とされていたが、上野さんは「介護力としての嫁は、今や絶滅危惧種です」「息子の嫁に老後の世話を期待することもできなくなりました」と話す。
独居高齢者の数も増えている。社会学者の河合克義さんは「社会的孤立」の実数を調べる尺度として「正月三が日を一人で過ごしたか」を調査したところ、前期高齢者では男性61・7パーセント、女性26・5パーセント、後期高齢者では男性46・8パーセント、女性32・0パーセントが「はい」と答えたという。
いわゆる「孤独死」は男性が多く、特に民生委員による見守りの対象となる65歳以降の高齢者よりも、それ以前の50代後半から60代前半の高齢者直前の世代に集中しているのだという。
「おひとりさまの老後」の課題と新しい取り組み
一方で、女性で最大の問題は経済問題で、単身高齢者女性の貧困率は5割以上になるという。これは高度成長期の予測を超えた超高齢社会の到来に年金制度の整備が追いついていないこと、介護が家族頼みのものとして設計されていたことに原因があると上野さんは述べた。
しかし、さまざまな新しい老後の在り方も見られると、自ら訪ねた実例を紹介した。
高齢者は住宅弱者と思われているが、実際は持ち家率が高く(統計では65歳以上で8割以上)、人口減少社会を迎える中「住宅あまり現象」も生じている(空家率は全国で13パーセント、東京都で11パーセント、約75万戸)。施設ではなく「居住福祉」が注目され、民間ではパイオニア的なさまざまな取り組みが増えているという。新潟県の長岡市では、施設を解体し、地域の空いた土地や建物を活用して介護サービスをデリバリーし「住み慣れた地域」「家族の近くで暮らす」という取り組みを進めている特養があるという。
また、気心の知れた仲間と共にまず住まいをつくり、共に生活する「コレクティブ・リビング」という施設も生まれてきた。東京の日暮里には、中学校の跡地を利用した高齢者住宅とコレクティブハウスの入った施設があり「コレクティブクッキング」という共同食堂がある。ここにはシングルマザーも入居しており、年配の女性たちに子どもの世話を手伝ってもらえるため「こんなに子どもが育てやすいならもう一人産んでもいいわよ」という母親の声も聞いたという。
これら新しいタイプの事業には費用がかかるが、地域の250人から市民ファンドを募り、4億円を集めて施設を始めた女性など、日本各地の新しい動きが紹介された。一方でまだまだ施設によってはサービスの質の差も大きいとの課題もあるという。
死と看取りの選択肢
上野さんは、施設を訪ねるとき「お看取りはなさいますか?」と必ず聞くという。最期をどこで迎えるかは、人生の最後となる重要な選択だと考えるからだ。かつて日本では、ほとんどが家で最期を迎えたが、現在は病院が80パーセント、在宅死が13パーセント、そして施設が6パーセント。「死の病院化」が進んだ。
「現代の社会では在宅死の選択肢が(示されて)ないが、介護力があれば在宅死は可能です」と上野氏は話す。2015年に定められた「医療介護一括法」も、社会保障費削減の大勢の中、病床数や入院期間の抑制、介護老人施設の建設制限や民営化と同時に、在宅誘導を進めており「ほぼ在宅、ときどき病院」が国の方針なのだという。さらに近年は一人で老後を暮らすための制度ができ始めている。
「高齢者が家にいたいというのは、家族と一緒にいたいのか、自分の家にいたいのかをまず考えるべきです」と上野さん。多くの場合、高齢者が施設に入るかどうかの意思決定は、家族が握っているという。暮らし慣れた、思いの詰まった家で暮らしたくても、同居家族に迷惑をかけないようにと施設に入るお年寄りは多い。それならば、一人で最期まで家で暮らすことも尊重されるべきではないかというのが、上野さんの考え方だ。現在、がんの場合はペインコントロールの技術などが進み、すでに在宅看取り率95パーセントを達成している訪問診療所もある。
上野さんは「在宅で死を迎える条件」として四つを挙げる。
① 本人の意思
② 介護力のある同居家族の同意
③ 地域に利用可能な医療・介護資源がある
④ 経済力
しかし、まだ社会には有償介護サービスを使うことへの抵抗感がある。その最大の障壁は「家族」。家族が年金や資産を管理していて、それを許可しないのが現状だという。
上野さんは、最期を家で迎えるためには、司令塔となる友人や専門支援職が必要だとし、経験豊富な退職したナースに「看取りナース」として働いてもらうなどの動きを紹介した。
上野さん自身も最近、57歳だった親友の大学教授の女性が末期がんとなったとき、女性の友人たち30人で「看取りチーム」をつくり、食事から生活の世話までを最期の日まで支えるという経験をした。その経験から、人生の最後には「長年の信頼できる友人」とのつながりが最も大切であると感じたという。
「老後は家族持ちより『人もち』、金持ちより『人もち』。そのためにも、人とのつながりに種をまいて水をやらないといけない」と上野さん。そして、家族がいてもいなくても、最期を穏やかに迎えることができるようなシステムの構築が大事だと語った。
実は、老後は「おひとりさま」のほうが幸せ!?
さらに上野さんは、大阪門真市で60歳以上の高齢者460人を調査した医師、辻川覚志さんの書いた『老後はひとり暮らしが幸せ』という本を紹介した。この調査から見えてきたのは、実は「一人暮らしの高齢者のほうが同居暮らしの高齢者よりも生活の満足度が高い。子どもがいるかどうかもほとんど関係ない」という統計の結果だ。満足度が一番低いのは配偶者との二人暮らし、三世代同居だと一人暮らし同様に満足度は高い。二人だと、相手との間に緩衝材がなく直接ぶつかったりすることがストレスになるのではないかと推測されるという。データから見えてきた老後の満足のための条件は、次の三つだ。
① 生活環境を変えない(住み慣れた土地を離れない)
② 心を打ち明けることができる真に信頼できる友人を1人か2人、近所ではなくてもいいから持つ
③ 家族に気を遣わずに済む自由な暮らし
調査の結果、著者がたどり着いた「満足のいく老後の暮らしを追いかけたら、なんと独居に行き着いたのです」という率直な言葉に、上野氏は深くうなずかされたという。
そして「私もかつては、老後はたくさんいる仲のいい友人の独身の女性と一緒に暮らそうなんて思っていましたけど、ある時、関西の友人のフェミニストの女性から『上野さん甘いな。女っちゅうもんは、なすの漬け物の切り方一つでいさかうもんや。女同士は一緒には暮らせへん』と言われ、関西女性のリアリズムに気付かされ、それはもうきっぱり諦めました」と語り、会場の女性たちを爆笑の渦に巻き込んだ。
死にゆく人は寂しいか?
最後に上野さんは、父親の介護をして最期を看取ったときに「たとえ家族がいても死にゆく人の孤独を癒やすことはできるのだろうか? お父さん、あなたの孤独は私には分からない。死にゆく者の孤独は、誰が癒やすことができるのだろうか?」と浮かんだ問いが、自分の研究の出発点だったと述べた。
「(人生の最後に)できればかけがえのない誰かに手を握ってほしいけれども、長生きするとそういう人は皆あの世に逝ってしまいます」と上野さん。ある医師は、死にゆく人に「先生寂しいわぁ」と言われると「あなたが会いたい人を5人挙げてください」とその人の名前と電話番号を聞き、必要があれば順番に電話をかけるようにしているという。
「それでも癒やされない孤独はあるかもしれません。でもここはYWCAで神様がおられます。私は不信心なもので、どうしてもクリスチャンの方にかなわないと思うのは、『さあご一緒に祈りましょう』という一言が言えることです。皆様方に『最期はご一緒に祈りましょう』と言ってくれる方がそばにおられたら、家族や友人によっても癒やされない孤独からも救われるのでしょうか」と2時間の講演を締めくくると、会場からは大きな拍手が送られた。