グアテマラで最近、ホセくんに出会った。その時、私は不意を突かれた。私は英国聖書協会の同僚と共に、グアテマラ市のすぐ近くにある国営の子ども向けシェルターを訪問していた。
シェルターにいる800人の少年少女たちはみな、何らかの理由によって国が後見人となっていた。孤児や特別な教育的支援が必要な子ども、ギャングから救出された子どももいる。ギャングでは、9歳の子どもが銃を与えられ、殺すよう命じられるのだ。
グアテマラは、驚くべき自然の美しさと社会の対比がある国だ。36年にわたる内戦の終結後、徐々に回復を続けるに当たり、ケンタッキー・フライド・チキンやホンダの繁栄の兆しと、子どもの栄養不良や世界でワースト5に入る殺人の件数という不調和を起こしている。グアテマラ市では、ショッピングモールや中流階級の人々が住む住宅のすぐそばに、ギャングの縄張り「レッド・ゾーン」がある。グラスゴーやグロスターでは見ない光景だ。
だから、聖書協会のボランティアが主催する集会で、シェルターの集会ホールに立ち、口ごもりながら羊飼いの少年ダビデについての短い話をしている間、私は目の前で話をしっかり聞いている50人の少年たちとつながるのに、自分が不適当なのではないかという思いが強まっていた。少年たちはこれまでの短い人生の中で、私や私の知人たちの誰よりもはるかにつらい出来事を経験しているのだ。
私がダビデの話を終えた後、ホセくんが、個人的に話をするよう私に頼んだ。部屋の隅に引き下がり、私は通訳を介して、何かあるのかと尋ねた。こわばり無表情だった彼はすぐに、顔をくしゃくしゃにして涙を流した。むせび泣きながら、ホセくんは私に、幼い時に両親に捨てられ、おばに引き取られたと語った。しかしその後間もなくして、おばもまた彼を捨て、11歳の時に国営のシェルターに引き取られた。それから今まで、彼に家族の訪問はなかった。1回もなかったのだ。シェルターにいる子どもたちの80パーセントがそのような経験をしている。元ギャングのメンバーを含む定期的なボランティアによる訪問と、彼らの愛のメッセージを通してしか、ホセくんは外の世界に希望があることを知ることができない。
現在17歳で、法的に成人になる誕生日が近づくにつれ、彼は近くシェルターを去り、慣れた壁を越えて自分自身で人生を送らなければならないという現実に直面している。そして彼は恐れている。彼は、知っている唯一の家庭を去り、短い人生の中で彼を全く拒否した世界という場に出る準備をしている。私はその恐怖、孤独を想像することすらできない。
1997年、コラムニストのメアリー・シュミック氏がシカゴ・トリビューン紙に、『Wear Sunscreen(日焼け止めを付ける)』を寄稿し、大きなセンセーションを巻き起こした。バズ・ラーマンがこの内容をアンビエント・ダンス・トラックにのせると、この曲は人々の心を打ち、数カ国の音楽チャートで1位となった。この言葉には多くの貴重なアドバイスがあり、例えば、「Don't mess too much with your hair, or by the time you're 40, it will look 85; and of course, wear sunscreen(髪の毛を構い過ぎないで。そうでないと40歳になるまでには、85歳に見えるようになる。そしてもちろん、日焼け止めを塗ろう)」というのがある。下の節はいつも、特に私の心を打つ。
「Don't worry about the future; or worry, but know that worrying is as effective as trying to solve an algebra equation by chewing bubblegum.The real troubles in your life are apt to be things that never crossed your worried mind.The kind that blindside you at 4pm on some idle Tuesday.(将来を心配しないこと。心配してもいいけれど、その心配は方程式を風船ガムをかむことで解こうとする程度の効果しかない。人生の本当の問題は、あなたの心配する心には決して浮かばないようなところにありがち。暇な火曜日の午後4時に、あなたの不意を突いてくるようなもの)」
しかし忘れられた子どもたちでいっぱいの施設の、コンクリートの敷地内にホセくんと立つときに、シュミック氏の言葉がどんなに情緒的に価値があり、どれほど美しく作られたものであろうとも、それがうつろに過ぎていくものだという現実を思い知った。
そしてさらに、私たちに心配しないよう強く勧める有名な言葉がある。福音書の中でマタイは、イエスが「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。 命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。 空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか」と語ったことを記録している(マタイ6:25~27)。
この言葉は、その日私にとって新しい意味を持った。この力強く、人生を約束する言葉は、聖書協会のボランティアが毎週怠ることなく、この見捨てられた子どもたちに届けている言葉だ。どれほど違う物語だろうか。
そしてこれは実に、シュミック氏の心揺さぶる独白とは根本的に違う。私たちが神ご自身の手の中にいるからだ。人類の恥辱を身に負い、頼りない赤ちゃんとしてこの世に現れた神は、難民たちの子で、権力者に追われ、貧困の中に育ち、憐れみと愛のメッセージを語ったことで迫害された。
私とボランティアは、ホセくんにこのことの幾らかを思い起こさせることができた。私の言葉が足りなかったところでも、神の御言葉は十分だった。共に泣きながら、私はエレミヤに対する神の約束「わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた」(エレミヤ1:5)と、彼が「恐ろしい力によって 驚くべきものに造り上げられている」(詩編139:14)ことをホセくんに覚えさせることができた。そして、私は神がエレミヤに与えた、「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ29:11)という言葉も彼と分かち合うことができた。
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原文記事の著者デイビッド・スミス氏は、英国聖書協会の国際プログラムの長。文中の個人名の一部は仮名。