今回の考察の締めくくりとして、やはりローマ8:18~25に言及せざるを得ません。
1963年9月に始めたニューイングランドでの3年間の学びを通して、ローマ8:18~25は、私の心の奥深く刻まれ、その後の歩みの基盤となりました。8:25、「もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます」に基づき、1967年8月誕生の長男の名前を忍望(ニンボウ)と付けたほどです。
ローマ8:17までに、御霊ご自身の導きにより、私たちが神の子どもの位置を与えられている事実の指摘を、パウロは8:26に直接結び付けています。ですから、ローマ8:18~25は、本来の話の流れの中に割り込む、脱線とも呼ぶべき部分です。
逆に言えば、パウロが、受信人の必要を重視して書く部分に、パウロ自身の心の中で燃えるマグマが噴出してきています。それは、パウロにとり最重要なメッセージなのです。
その内容は、被造物全体を視野に入れ、特にそのうめきを直視しています。しかも人間・私の実態である体の贖(あがな)いを求めるうめきと被造物全体のうめきが固く結ばれています(8:23)。この体の贖いと被造物全体のうめきからの解き放ちこそ、キリストの再臨において成就する新天新地の希望です。
この確かな終末の希望に立ち、現在のすべてを見、一切を耐え忍ぶのです。これこそ、聖なる公同の教会、聖徒の交わりのあり方であり、うめきの軽視、無視こそ敵です。
■ 我は聖霊、聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず: (1)(2)(3)(4)(5)(6)(7)
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部(組織神学)修了。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。2014年4月からクリスチャントゥデイ編集長。