助任司祭ヨゼフ・モール作詞、オルガニストのフランツ・グルーバー作曲によるクリスマスの有名な聖歌「きよしこの夜」が今年も12月24日、その誕生の地、オーストリアにある記念礼拝堂のクリスマス・ミサで歌われる。この礼拝堂は、ザルツブルグ近郊の町、オーベルンドルフにあった教会の跡地に建てられたもので、「きよしこの夜」が1818年に最初に歌われた所として知られている。2011年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたこの歌は、2018年には200周年を迎える。その一方で、その起源に関する「伝説」は、その真偽をめぐる考証にもかかわらず、今もインターネットなどを通じて広まっている。
「ねずみがオルガンのふいごをかじってオルガンが故障し、使えなくなったために、ギターで伴奏が行われたのがその演奏の始まり」というその伝説は、日本ではポール・ギャリコ著・矢川澄子訳『「きよしこの夜」が生まれた日』(大和書房、1994年)にも記されている。矢川氏は同書の訳者あとがきで、アメリカの作家だったギャリコによって1967年に書かれたその原書の物語は、ドキュメンタリー文学に仕立て上げられたものだとしている。
しかしその後、愛知文教大学(愛知県小牧市)の江口直光教授(ドイツ語・ドイツ文化研究)は、「《きよしこの夜》考―その起源と伝承―」という論文で、この伝説に「確実な根拠はない」としながらも、「1825年に同教会に新しいオルガンが設置されたという記録が残っていることから、これに先立ついずれかの時期にオルガンが故障していた可能性は高い」と述べている(『愛知文教大学比較文化研究』3、13-33、2001年11月15日)。
また、オーストリアの劇作家で放送作家のヴェルナー・トゥースヴァルトナー氏も、「きよしこの夜」に関する2002年の詳しい著書『Stille Nacht! Heilige Nacht! Die Geshichte eines Liedes』(大塚仁子訳『「きよしこの夜」物語』アルファベータ、2005年)でこの伝説に否定的な見方を示している(同書「はじめに」および97、8ページ)。
この本は、賛美歌に詳しい恵泉女学園大学名誉教授の大塚野百合氏による最近の著書『「きよしこの夜」ものがたり―クリスマスの名曲にやどる光』(教文館、2015年9月20日)で、「ヨゼフ・モールの生い立ちを詳しく述べている素晴らしい本」として紹介されている。ただ、大塚氏は同書の中でねずみ伝説について言及していない。
いずれにせよ、「きよしこの夜」の最初の伴奏にギターが用いられたことは確かなようである。そのことは、オーストリアの「きよしこの夜協会(Stille Nacht Gesellschaft)」や「きよしこの夜情報(stillenacht.info)」のウェブサイト、オーベルンドルフ州公式サイトの観光案内にある「きよしこの夜」の欄にも書かれている。
「きよしこの夜協会」や「きよしこの夜情報」のウェブサイトには、現存する「きよしこの夜」初期の楽譜やそれに基づいてこの歌を再現した録音があり、その調子はニ長調(ギターのキーコードはD)である。後者のサイトでは、最初の伴奏で使われたとされるギターの写真もあるほか、12月24日にウェブカメラでオーベルンドルフから「きよしこの夜」の生中継が行われるという。
ただ、この「きよしこの夜」ギターは、いわゆる「19世紀ギター」という胴の細長い小型のギターで、現在多く市販されているクラシック・ギターとは音も形も大きさも異なる。そのギターの製作者や詳しい仕様は、これらのウェブサイトでは分からないものの、日本で19世紀ギターを取り扱っている一部の専門店によると、19世紀のオーストリアの中古ギターは100万円を超えており、個人製作家による新しい複製品でも数十万円はするという。この歌の起源を忠実に再現することは、ねずみがオルガンのふいごをかじってもかじらなくても、容易ではないようだ。