「そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。・・・登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」(ルカ2:1~7)
今日の箇所はおなじみの物語です。ヨセフとマリヤが住民登録のためにベツレヘムに滞在している間にイエスがお生まれになるのですが、忘れてはならないのは、特に6、7節でのことです。「ところが、・・・宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」。聖霊によりマリヤに宿ったイエスは、馬小屋の飼い葉おけに産み落とされました。実際の様子はどんなものだったか想像してみましょう。それは温かくて麗しくてほのぼのとしたものではありません。家畜小屋です。臭くて薄汚い場所です。イエスがご自分の命を横たえられたのはそんな場所でした。
1. 社会の底辺にまで下られた救い主
イエスは、救い主だからと光り輝く最高の場所にお生まれになったのではありませんでした。ルカ2章8、9節に「羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」とあり、イエスの誕生のお祝いに最初に駆け付けたのはその羊飼いたちでした。夜通し羊の番をして働く2000年前の羊飼いの身分は、社会の中でも最も低いものでした。イエスは世の中の底辺に来られ、そこから人々を救ってくださったのです。
2. 人々の心の底辺にまで下られた救い主
イエスは、世の中の一番低いところに下られただけではありません。私たちの心の深い部分にまで来てくださいました。ピリピ2章6、7節「キリストは神の御姿である方なのに・・・人としての性質をもって現れ」、イエスは人々に対してご自分の心を一番低くされ、主人ではなく、奴隷の姿までとって仕える者としての心を持って来られました。そうすることで、私たち一人一人と向き合ってくださったのです。
3. 心の一番汚い所にまで下られた救い主
荒削りの木っ端で作られ、残った餌が腐ってドロドロの飼い葉おけの中にイエスはお生まれになりました。それは他人事ではなく、まるで腐りかけた飼い葉おけのような私たちの心の中に、イエスがご自分の尊い命を下さったということです。ローマ5章8節に「私たちがまた罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより」と書かれている通り、イエスは私たちが立派だったから来てくださったのではありません。罪人であり、神に背を向け、自分の人生さえ喜べず、疲れ果てた私たちのために救い主としてこの世に来てくださったのです。
飼い葉おけの中にまで下って来られ、救い主となって、どのような暗闇の中でも輝く光となってくださったイエスに感謝しましょう。私たちは、イエスに「私の心の飼い葉おけにもお宿りください。きれいな宿屋は準備できませんでしたが、私の飼い葉おけにどうぞお宿りください」と、イエスを素直に受け入れる者となりましょう。
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万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。