「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14:27)
十人十色と言いますが、すべての人間に共通していることは、皆が「幸せになりたい」と願っていることでしょう。人類の歴史は幸せになるための努力の連続と言ってもよいのです。それほどの努力にもかかわらず「今、あなたは幸せですか」と聞かれ、「ハイ、幸せです」と答えられる人は、どれほどいるでしょうか。
「幸せ」を求めても、「幸せ」を手に入れることのできない理由は少なくとも2つあります。
一つは、求める「幸せ」の内容が間違っている場合です。ある人は、お金や地位や名誉が幸せをもたらすと考え、それを追求しますが、そのようなものは本当の幸せを与えません。なぜなら、本当に大切なものは、ほとんどお金で買えないからです。また、社会的地位や名声を得れば得るほど多くのプレッシャーやストレスにさらされるのです。
もう一つの理由は、「幸せ」を求める方法が間違っているからです。自己中心の物の見方や考え方、あるいは人を傷つけたり、法律を犯して何かを手に入れたりしても、それは決して「幸せ」をもたらしません。
聖書は次のように語ります。「神と和らぎ、平安を得よ。そうすればあなたに幸いが来よう」(ヨブ記22:21)
イエス・キリストは「真の幸せ」について<ヨハネ14:27~31>の中で、3つの条件を挙げて話されました。
① 未来観の確保
イエスは「わたしが父のみもとに行く」と言って、自分の未来に対するはっきりとした道を知って歩んでいました。あなたの今、歩んでいる道はどこへ続き、どこへ至るのか知っていますか。
ある大学教授の方が亡くなる時、子どもや孫たちに「ありがとう、また天国で会おう」と言って息を引き取りました。彼はクリスチャンでした。自分がどこへ行くのかを知っていたのです。
② 罪責感の解消
人は悪や罪の中にいると安心できないようになっています。「うまくやった、誰も見てなかった」と思っても、自分の良心はちゃんと見ているのです。
そして良心の声が責めます。それを無視し続けると、その声が次第に小さくなります。つまり、良心が鈍感になっていきます。そのままの道を歩み続けるとき、さまざまなものが壊れていきます。人間関係が壊れ、健康を壊し、経済的問題を抱えることになります。
良心の痛みを感じているうちに、イエス・キリストのもとへ行き「私を赦(ゆる)してください」と悔い改めるとき、罪の赦しから来る罪責感の解消を受けます。そして心穏やかに人生を歩むことができるようになります。
③ 使命観の確立
「使命」とは「命を使う」と書くように、「自分はこのために生まれて来た、そしてこのために生かされている」と思えるものを持つことです。
すべての人が持つべき、3つの共通の使命があります。「神を愛すること、自分を愛すること、隣人を愛すること」。この「3つの愛」に私たちの人生が支えられているのなら、私たちの使命は正しいと言えます。
あなたも「本当の幸せ」を イエス・キリストの中に見いだしてください。
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