2017年の国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産登録に向けて、日本がユネスコへ登録申請する候補物件に、第二次世界大戦中、外交官の杉原千畝(1900~86)がユダヤ人難民たちに発給した「命のビザ」の記録が決まった。ユネスコの審査に申請できるのは、1国につき2件までと定められており、日本からの申請物件を選定するため、日本ユネスコ国内委員会が国内公募を実施していた。今回決まったもう1件は、群馬県高崎市にある7世紀から8世紀にかけての古代の石碑3基を総称した上野三碑(こうずけさんぴ)。同委員会が24日、発表した。
同日、同委員会の第15回ユネスコ記憶遺産選考委員会が開催され、候補物件として全国から応募のあった16件についての審査が行われた。杉原の出身地である岐阜県八百津(やおつ)町は今回、「杉原リスト―1940 年、杉原千畝が避難民救済のため人道主義・博愛精神に基づき大量発給した日本通過ビザ発給の記録」を申請した。これは、リトアニアの在カウナス日本領事館の領事代理であった杉原が、1940年7月から9月にかけて、主としてユダヤ系ポーランド難民のために大量発給した日本通過のためのビザ発給の記録、外務省公電、パスポートなどからなる20点の史料群。
これらの史料は、記録媒体が多様であること、多角的な観点から世界的な重要性が説明されていること、さらなる関係資料の収集に向けた作業が進められていることが示されていることなどが高く評価され、候補物件に決定した。
今回決定された物件は、申請者自身が締め切りまでにユネスコへ申請し、ユネスコ記憶遺産国際諮問委員会(IAC)の審査を経て、最終的にユネスコ事務局長が登録の可否を決定する。国内公募によらないユネスコへの申請がなされたことにより、日本からの申請が3件以上となった場合は、国内公募により選定された物件が優先されるという。
「杉原リスト」の申請者である、八百津町の赤塚新吾町長は、「第二次世界大戦という人類史上類を見ない暗黒の時代に、組織人としての服務規律と人命救助の間で葛藤しながらも、最終的には個人としての良心を保ち行動し得たその行いや背景にある思いの記録は、人類が未来永劫(えいごう)にわたって希求すべき人種・民族を超えた人道主義・博愛精神の稀有(けう)かつ勇気ある表出例として、世界が共有し次世代に語り継ぐべき遺産であると言えます」と話している。
また、杉原が発給したビザにより救われたユダヤ人難民は6千人を超えるといわれているが、正確な数は解明されきれていないとし、 「当町では、本件のユネスコ記憶遺産への登録を機に、国内外の諸機関ともさらなる連携を図りながら調査・研究を進める予定」としている。
世界記憶遺産は、世界の重要な記憶遺産の保護と振興を目的に、1992年に開始されたユネスコの事業。手書き原稿、書籍、新聞、ポスター、図画、地図、音楽、フィルム、写真などを対象としており、フランスの人権宣言、ドイツの文豪ゲーテの直筆資料、ウズベキスタンの現存する世界最古のコーランなど、301件が登録されている(2014年1月現在)。日本国内では、平安時代に藤原道長が記した「御堂関白記」、江戸時代に支倉常長が欧州から持ち帰った遺品などを含む「慶長遣欧使節関係資料」などが登録されている。