2歳半からバイオリンを始め、1975年に12歳でプロデビューしたバイオリニスト、千住真理子さんが、今年デビュー40周年を迎えることを記念して、エッセイ『ヴァイオリニストは音になる』を出版した。著書が多数ある著者だが、本書は『聞いて、ヴァイオリンの詩』『歌って、ヴァイオリンの詩〈2〉』に続く第3弾として、幸福、そして平和を祈る心の底からの思いがつづられている一冊だ。ユニークな音響学、社会学的な音響風景論についても触れられている。
著者自身はクリスチャンではないが、クラシック音楽を演奏するバイオリニストである以上、彼女の周りにはキリスト教の影が常につきまとっているに違いない。著者が運命的な出会いを果たしたバイオリン、ストラディバリウスの最高傑作の一つ「デュランティ」の最初の所有者は、ローマ教皇クレメント14世(在位:1769〜74年)だった。
著者は、母であるエッセイストの故千住文子さんと非常に仲が良く、対談エッセイ集『母と娘の協奏曲』などの共著も多く出版している。文子さんは、2013年で亡くなったが、本書の中でも、母との思い出がいたるところで語られている。文子さんは幼い頃に洗礼を受け、純粋に神を慕っていたという。青春時代、クリスマスになると「アヴェ・マリア」を歌いながら、大きなモミの木を友人と一緒に教会まで運んだという思い出話を、著者は何回も耳にしたそうだ。
著者自身も、「神」について素直に文に記している。いわく、ステージには神と魔物が共存しており、その魔物を鎮め、音楽の神に祈りをささげるように演奏することが、自分が音に同化していく過程であるという。また、特にバッハは「私の人生そのものであり、私の心の中にある聖書、神でもある」という。バッハを弾くとき、自分の限界を知り、自分自身が見えてくると言い、その様子を「神との対話であり、懺悔(ざんげ)にも似た自白」と表現する。そして、自身が奏でる音を「神への賛美」だと書いている。
クリスチャンでない著者が、神についてその思うところを言葉にしているのは、大変興味深い。10代の学生の頃、人生の中で最大の危機を助けてくれた本の一つは、三浦綾子の『氷点』だったというのだから、なおさらだ。時代ごとに自分の欲している答えやヒントを本に求め、活用してきた著者は、三浦の作品を手当たり次第にほとんど全部読み、アンダーラインを引きながら、繰り返し何回も読むことで、救いと励ましを得ていたという。
著者の漠然としてはいるが、体験的、感覚的な神の認識は、多くの日本人が抱いているそれと共通しているように思える。本書に書かれた「新幸福論」の中で、著者は、今年1月に「イスラム国」(IS)に殺害された後藤健二さんについて触れている。後藤さんが拘束される前に残したビデオメッセージを見て、ジャーナリストとしての強い信念や、揺るぐことのない覚悟を感じた心境を告白している。それと同時に、「『神は耐えうる人に耐えうるだけの運命を与える』というが、あまりに彼は神に見込まれ過ぎたのか、過酷な人生極まりない。神はいるのか?」「穏やかな幸福のひとときを、神は彼に与えないのだろうか、と不思議でならない」という素直な疑問を投げ掛ける。
「人間の生きる意味はなんだろう。みんな何のために自分は生きている、と思っているのだろう」と、多くの人の思いを代弁するように、その心の内を明らかにしている著者。この問いの答えは、神を信じるクリスチャンに求められているのではないだろうか。
『ヴァイオリニストは音になる』:千住真理子著、時事通信社、2015年8月1日発行、定価1800円(税抜)