自然豊かな千葉県館山市。青々とした緑に囲まれ、眼下には真っ青な海が一望できる小高い丘の上に長期婦人保護施設「かにた婦人の村」がある。日本基督教団の深津文雄牧師(1909〜2000)によって、1965年に創設された。深津牧師は、キリスト者として社会的弱者を救済するには、上から引き上げるのではなく、そばに寄り添うことを支援者の価値原理とする「底点志向」を唱え、実践した。
長く施設長として仕え、現在は名誉村長として、この施設で生活している天羽道子さんと、現施設長の五十嵐逸美さんに話を聞いた。今年88歳になる天羽さんは、満州で生まれ育ち、進学をするために帰国、終戦の翌年に自由学園を卒業した。1949年に深津牧師の話を上富坂教会で聞き、荒廃した終戦直後の日本の状況に心を痛め、生涯未婚を貫き、キリスト者として社会奉仕に献身する「奉仕女」として人生をささげることを決めた。そして1954年に、深津牧師と他の日本人奉仕女3人、またドイツ人奉仕女2人と共に「ベテスダ奉仕女母の家」(東京都練馬区)を創設。このベテスダ奉仕女母の家が運営主体となって誕生したのが、かにた婦人の村である。
かにた婦人の村では、知的・精神障がいによる社会復帰が困難な女性を、全国で唯一の長期入所施設として受け入れている。受け入れた女性の聞き取り調査を行う中で明らかになったのは、入所者の多くが性暴力を受けてきたということだ。極度に男性に依存してしまったり、逆に性的虐待によって著しく男性に恐怖を覚えたりと、その症状は人によってさまざまだ。
一時的に症状が改善しても、基本的な生活スキルに乏しいため、金銭の管理ができないなどの問題が発生し、生活の場を失ってしまう。一時的に入所できる婦人保護施設は全国39都道府県に49カ所(2013年現在)設置されているが、終生を過ごすことのできる長期入所施設は、かにた婦人の村のみ。そのため、全国からそうした困難を抱える女性が入所してきており、現在は69人が共に暮らしている。
日中は、農園、製菓、手芸などの作業を数班に分けて行い、食事も一緒に取る。旧日本海軍の砲台などがあった国有地を払い下げたという3万坪の広大な敷地には、作業棟、居住棟、作業などが難しい高齢者が過ごす高齢者棟など、いくつかの棟が点在している。扉のないプライベート空間はさほど広くはないものの、共に食事を取る場所、おしゃべりなどをするくつろぎスペースは十分にあり、皆が一つの家族のように身を寄せ合い、暮らしている。「家族の温かさを生まれてから一度も知らずに、ここに来る方もいらっしゃいます。こうしたスペースを作ることで、人と触れ合うことの楽しさを感じてくれればと思っています」と五十嵐さんは話す。
運営費用は、法律に基づき、国と都道府県が半分ずつ出資する公費に頼っているが、日中の活動の充実や高齢者の生活支援などは、それらの公費が使用できないため、全国にいる後援者からの支援が大きな支えとなっている。また、年に4回開催されるバザーでは、利用者が作った手芸品や全国から毎日のように送られてくるという古着を販売し、運営費用に充てている。
日中行う作業は、ノルマなどがあるわけではなく、一人一人ができることをできる分だけ行う。工賃もわずかだが均等に与えられ、それでお菓子などを買うのが彼女たちの楽しみのようだ。
入所者のほとんどが、家族などの身寄りがなく、終生をここで過ごす。高齢になると、近隣の高齢者施設や病院と協力し、職員たちは最期まで寄り添う。ある入所者に末期のガンが発見されたときには、生活感の薄い病院で最期を迎えるのではなく、少しでも家庭的な場所をと、グループホームに入居してもらい、職員が家族の代わりに面会に訪れたり、イベントに参加できるよう送迎などをしたりして、「できる限りの介護」をして天国へ見送った。
亡くなれば、葬儀などは全てボランティアで施設が執り行う。施設の納骨堂には、家族が引き取ることのない骨と遺影が納められている。性犯罪などに巻き込まれた女性を差別する風潮が残っていた一昔前の日本社会では、家族が彼女たちの存在を隠そうとしていたのだという。
かにた婦人の村設立当初、深津牧師が掲げた「終生いられるコロニー(定住地)」という発想は、当時の社会環境では先進的なものだったという。しかし、五十嵐さんによると、現在では障害があるとされている人と、それ以外の人の間にある『壁』こそが障害なのではないか、といった捉え方が主流になりつつあり、障がい者だけが施設に入ることは不自然で不当なことではないか、と考えられるようになってきたという。「私たちは、入所者一人一人の思いを聞き、寄り添っていきたい。高齢の方も、若い方もそれぞれが自己実現できるように支援を続けていきたい」と五十嵐さんは話す。
「この世に生まれてきたからには、いらない人は一人としていません。かにた婦人の村では、ありのままのあなたを受け止め、あなたを信じ、あなたに寄り添い、あなたを愛します。それは私たちの仕事です」という言葉を大切に、職員たちは職務に当たる。日曜日には、入所者と職員が一年半かけて建て上げたという教会で、共に礼拝をささげることもある。
一方、かにた婦人の村の敷地内には、戦跡も多く残されている。旧日本軍が本土決戦に備えて掘ったと思われる地下壕には、「戦闘指揮所」「作戦室」などの文字がはっきりと残っている。
今年、創立から50年を迎えたかにた婦人の村。建物も老朽化し、耐震構造にも問題があるため、建て替えなどの工事が急務となっている。行き場を失った女性たちが、自分らしく輝ける人生を送るために、深津牧師が提唱した「底点志向」を実践する職員たちは、館山の海から注ぐ爽やかな風を浴び、「生きづらさ」を抱えた女性たち一人一人と向き合っている。