米ウィスコンシン州に住むクリスチャンの老夫婦が、75年間の幸せな結婚生活において一度もケンカをしたことがないことを地元放送局に明かし、タイム誌や他の米メディアも取り上げるなど、話題となっている。
リチャード・ボーマンさん(97)とアーリーン・ボーマンさん(96)は、太平洋戦争が起こる1年前、1940年に結婚し、夫婦として生きることを決めた最初の日から今もなお、変わらずに深く愛し合っている。
「もし何か合意できないことがある時には、とにかく話し合いました」とリチャードさん。
「お金がなかったので、私たちは(夫婦ゲンカのための)投げる皿や靴自体も持っていなかったのです。だから、互いに仲良くやっていくしかなかったのよね、と私たちはよく言いました」。世界恐慌後、太平洋戦争が始まる前の貧しかった時代について触れ、アーリーンさんはこのように冗談を語った。
リチャードさんとアーリーンさんが出会ったのは、友だち数人で映画館に出か掛けた時のこと。2人が夫婦になるまでに、時間はそうはかからなかった。
「私たちは、初めて会った時から話が合いました。彼はとても話しやすい人でした」とアーリーンさんは当時を振り返る。
そして2人は、1940年11月21日に結婚する。
「私は今も、その時の結婚指輪をはめています」とアーリーンさんは言い、幅の細い、金の指輪を見せた。彼女は豪華な婚約指輪を持つことよりも、ただリチャードさんの妻になりたかったのだ。
結婚生活において彼らに危機が訪れたのは、1942年。リチャードさんが戦争へ召集されることになったのだ。最初の息子が誕生してわずか数週間後の出来事だった。
アーリーンさんは、「彼と連絡を取る方法はありませんでした。手紙もまれでしたから、彼がどこでどんなふうにしているのか、ほとんど知る由もありませんでした」と言う。
教師として忙しい毎日を送っていたアーリーンさんだったが、ついにリチャードさんがウィスコンシン州シェルドンの自宅に帰還した。連絡が取れないまま実に1年2カ月が過ぎていた。
「私の人生の中で最も素晴らしい時でした」とリチャードさん。「私の妻と子どもたちの待つ家に帰ってくることができたのだと、かみしめました」
しかしながら、戦争でのつらい記憶が度々リチャードさんを苦しめた。「悪夢なんかはたくさん見ました」
2人はどんなことにも一緒に立ち向かって行った。リチャードさんの心的外傷後ストレス障害(PTSD)にも、2人の一番上の息子の死にも。
アーリーンさんは、「彼がいなかったら、私はどうやって乗り越えたのでしょう。私だけでは乗り越えられなかったと思います」と振り返る。そして、リチャードさんはこう語る。「私は今も彼女に恋しています。彼女は私にとって全てです」