あなたは、何を目標にしてクリスチャン生活を送っておられるでしょうか。救われるためにイエス様を信じました。その目的を達成したので、天国に行くまであとは自由に暮らしますか。それとも、健康が与えられ、経済的にもますます祝福されることが目標でしょうか。
使徒の働き26章1~32節の場面でパウロは、アグリッパ王に対して申し開きをしています。その中で、自分が捕らえられている理由をこう説明します。「そして今、神が私たちの父祖たちに約束されたものを待ち望んでいることで、私は裁判を受けているのです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕えながら、その約束のものを得たいと望んでおります」(6、7)
パウロは熱心なパリサイ人で、キリスト教徒を捕らえることを使命としていました。パウロは祭司長から権限をもらい、キリスト教徒を捕らえるためにダマスコにまで向かっていきます。その時、真昼の太陽よりもさらに明るい光がパウロを照らしました。そして、彼に対する神様のご計画が示されたのです。
「起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす」(16、17)
パウロは特別だと思われるでしょうか。いいえ、違います。あなたにも、神様の特別なご計画が必ずあります。パウロも、この時までは分かりませんでした。あなたも今は分からないかもしれません。ですが、必ず明らかになる時が来ます。
しかしどうせ求めるなら、熱心に求めてみてください(黙示録3:16)。聖書には「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます」(マタイ7:7)とあります。神様がおられると思うなら、とことん追及してみてください。そうすれば、きっとはっきりと知ることができるでしょう。
パウロが神様に遣わされた目的ははっきりしています。「それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」(18)
私たちクリスチャンは、サタンの支配から神様のもとに立ち返りました。暗闇のこの世の中に本当の幸せを見つけることはできません。しかし、まことの光のもとに帰る時、歩むべき道がはっきりと見えてきます。
「預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。すなわち、キリストは苦しみを受けること、また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです」(22、23)
キリスト教の核心は、復活の信仰です。私たちが最も語らなくてはいけないのは、キリストの復活なのです。最も大切なことは、次の3つです(Ⅰコリント15:3~5)。
(1)「キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと」
(2)「葬られたこと」
(3)「聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと」
世界中いまだかつて、死からよみがえった人はイエス・キリストの他にいません。ラザロは一度死んで生き返りましたが(ヨハネ11章)、あれは復活ではなくて蘇生といいます。イエス様の復活とラザロの蘇生は別物です。なぜなら、ラザロはまた死ぬからです。イエス様の復活は、もう死なない体になることです。
もしイエス様が復活なさらなかったなら、イエス様が私たちの罪を解決するために死なれたことを証明したことにならないのです(Ⅰコリント15:17)。なぜなら、地の底に行ったままならば、罪のままでいることになるからです。復活したということは、罪が処理され、義となったということです。事実、イエス様は復活されました(20~22)。アダムによって、私たち人間は例外なく神様との関係を断たれた「霊的死」の状態にありましたが、イエス様の復活によって「生きる」者になりました。イエス様が、すべての初穂として死者の中からよみがえられました。そしてキリストの再臨の時、私たちはキリストに属しているゆえに救われるのです(23)。
体には二種類あります(40)。イエス様は、地上で奉仕なさった体とは違う体で復活されました。そして私たちも復活の体を着ます。今、私たちは地上の体を着ています。これは年を取って滅んでいく体です。天上の体には別の言い方があります。御霊の体です(44)。
すでに霊が救われている皆さんに求められているのは、神の言葉によって自分の考え方や思いを変えていくことです(ヤコブ1:21)。あなたがその近道をしたいならば、いつも神の言葉によって自分の考えや思いを点検し、神の言葉とは違った考えや思いを捨て去ることです。そうすれば、あなたの信仰の歩みは、どんどんスムーズになっていきます。
私たちクリスチャンは、体の贖われることを待ち望んでいます(ローマ8:23)。今、この地上で病気の体を持っていても、贖われた栄光の体は、もう病気の体ではありません。年も取りません。この体を着た時、救いが完了するのです。イエス様の復活があったということは、私たちに間もなくこれが起こるという事実を示しています。
私たちの最後の敵は死です。しかし、「最後の敵である死も滅ぼされます」(Ⅰコリント15:26)。終わりのラッパが鳴る時、私たちは変えられ、イエス様と同じく死なない体を着ます。その時、「死は勝利にのまれた」(54)という御言葉が実現します。主に栄光がありますように。
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神内源一(じんない・げんいち) / 徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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