第二次世界大戦中にナチスによる迫害を受け、犠牲となったユダヤ人少女、アンネ・フランク(1929〜45)を記念したキリスト教会が兵庫県にある。聖イエス会アンネのバラの教会(同県西宮市)。ユニークな名前の教会だが、その名の通り、教会の「アンネの庭」にはアンネをしのんでベルギーで作られた「アンネの形見のバラ」と呼ばれるバラ50株が植えられている。数百輪の花が咲き誇り、見頃を迎えたこの季節、13日から17日まで、教会に併設されたアンネ・フランク資料館で「平和のための展示会」が開かれている。
ナチスの迫害を受けて故国ドイツを追われたアンネは、一家でオランダに亡命するが、そこにも迫害の手が伸びてきたため、隠れ家での生活を余儀なくされる。最終的に隠れ家は発見され、住人は全員、強制収容所に送られることになる。アンネはそこで病を患い、15歳という若さで亡くなるが、彼女が残した隠れ家での2年間の日記は、『アンネの日記』として出版され、世界中の人々に自由と平和への願いを語り続けている。
アンネのバラの教会は、アンネの父、オットー・フランク氏との交流から誕生した教会だ。1971年に、聖イエス会の全国にある教会の聖歌隊選抜メンバーで編成された「しののめ合唱団」が、コンサート旅行で欧州諸国とイスラエルを回っていた最中、オットー氏が自ら自己紹介をしてくれたのだという。この奇跡的な出会いをきっかけに、翌年のクリスマス、友情のしるしとして聖イエス会に12株のバラが贈られた。アンネの生誕50周年に教会建設が企画され、その翌年である80年に同教会が設立された。
併設する資料館には、アンネの生涯にわたる写真、600万人のユダヤ人犠牲者を出したホロコーストの写真が展示されている。アンネの遺品は、世界中にもほとんど残っていないが、オットー氏により、アンネが愛用したスプーン、靴べら、切手入れなど貴重な資料が、オットー氏自身の愛用品と共に寄贈された。オットー氏は、80年に91歳で天に召されたが、「平和は相互理解から生まれてきます。アンネたちの悲劇的な死に同情するだけでなく、平和をつくり出すために、何かをする人になってください」という言葉を同教会に託したという。
同教会の坂本誠治牧師に話を伺うと、アンネが日記の中に書いた「一体全体、戦争が何になるのだろう。なぜ人間は、お互い仲よく暮らせないのだろう。何のためにこれだけの破壊が続けられるのだろう」という言葉を引用してくれた。アンネは、その戦争の責任は、資本家や政治家や一部の人々だけにあるのではなく、全ての人が持つ破壊と殺りくの本能に原因があるのでは、と続けて語っているという。坂本牧師はそこに、聖書に記されている「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか」(ヤコブ 4:1)との言葉と共通点を見出すという。
戦後70年の今年は、ちょうどアンネの死没70年の年でもある。アンネの親友ハナ・ピック・ゴスラー(『アンネの日記』の中にリースというニックネームで登場)さんから、3月に同教会にメッセージが届けられた。「私たちはみな神の形に造られました。だから共に平和に生きることを努力しなければなりません」。
坂本牧師は、「聖書は、平和をつくり出すために、一人ひとりが神様によって心をつくり変えていただき、神の子となるようにと言っています。あなたも平和をつくり出すために、一歩を踏み出しませんか」と話し、来場を呼び掛けている。
「平和のための展示会」の開催期間中は、予約なしで資料館を見学できるが、団体の場合は要予約。入場無料。詳細・問い合わせは、アンネのバラの教会(電話:0798・74・5911、メール:church[at]annesrose.com)まで。