弟子たちには、奥義を知ることが許されています。イエス様は4つの種の話について弟子たちに説明されました。
「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです」(マタイ13:19)
今、皆さんは神様のことを聞いています。イエス様と一緒にいた人々も、同じく聞いていました。しかし、1番目の人は聞きましたが、悪い者が来て、その人の心にまかれたものを奪っていきました。なぜ奪われたのでしょうか。
「彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです」(13)
どうすれば祝福されるかなどと考えている間は悟れません。心で悟るのです。神様は見えないのに、どうして理解できますか。また、どうしたら祈りが叶えられるかなんて、到底理解することはできません。心で聞くというのは、聖書が言っているのでその通りにします、ということです。そうする人は、それを体験するのです。
周りの環境やあなたの能力によるものではありません。頭の悪かった私が聖書のことをよく分かるのは、「理解」ではないからです。聖書の通りに信じるとき、それが起こるのです。聞いたのに信じないままで終わってしまう、神を信じない人にならないでください。
2番目の人は、どうでしょう。
「また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます」(20、21)
2番目の種は枯れてしまいました。1番目の種と違うのは、一度信じたことです。最初は喜んで一度受け入れたのですが、そのあと困難が起きます。聖書の教えに従い行動するクリスチャンは迫害を受けます。困難が起こると、信じても、すぐにやめてしまうのです。2番目の人も、1番目の人と同じ状態に戻りました。
「また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです」(22)
3番目の種はいばらの中にまかれました。みことばを聞いて信じたのですが、献金したくない、悪いことだとしても金儲けができればいいなどと、富の惑わしにより、神よりお金の方が幸せになれると考えます。そしてみことばを去るのです。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:33)
すべてのものが与えられると言っているのに、理解できないからやめてしまいます。「いや、聖書がそう言っているから、そうしよう!」という人はそれを得ます。3番目の人は信じました。枯れていないので、信じ続けるのでしょう。しかし、実を結ばないのです。
「ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます」(23)
4番目の種は実を結びました。それは、「悟る人」だからです。本当に実を結ぶ人は、悟る人です。悟るとは、理解することではありません。神様をもっと理解してから信じるという人がいますが、理解する前に私たちは死んでしまいます。一番いいのは、信じたときにやってみることです。信じ切ってしまう、そうすると体験するのです。
私にも誘惑はありました。とても優秀な後輩がいて、六法全書を勉強し、聖書を読み、通訳もする。悪魔は私に言いました。「あいつはこの社会で生きていくのに勉強しているぞ。お前は聖書だけ勉強している。それでいいのか」。私はこれでいいのかと迷いました。しかし、決めました。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」。私は悪魔に言いました。「いいや! 私は聖書だけ勉強する!」。すると、聖書だけ勉強していた私は、今では毎月、沖縄、東京、京都と、日本中を動き回っています。聖書どおりに信じ切っていく人は幸せです。
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神内源一(じんない・げんいち) / 徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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