版画家・高橋文子さんの個展「憐みの器」が16日、東京・銀座のO(オー)ギャラリーで初日を迎えた。高橋さんは数年に一度のペースで個展を開いているが、今回は5年ぶり。銅版画の作品、和紙などを使ったオブジェ全20点が展示されている。
木版画とは素材、刷り方が全く異なる銅版画。彫刻刀で掘ったところが白くなる木版画に対し、銅版画は掘ったところにインクが入る。また、掘って傷をつけた銅板を、腐食液に浸し、腐食させて表現するという独特な技法を持つ。液に浸す時間である程度の腐食具合はコントロールできるが、気温などによって出来上がりが予想できないという楽しさがある。
銅版画が持つ魅力を、「繊細で、時間が経過して風化したような、何かが蓄積したような味がある」と高橋さんは話す。やり直しがきき、掘り直して表情を変えることができる。それでいて、過去の痕跡がかすかに残ることが、自身の表現方法に合っているのだという。
高橋さんにとって、作品を作ることは神への応答そのもの。神とのコミュニケーション過程が制作過程そのものなのだ。美術大学生時代にクリスチャンになった高橋さんは、作品テーマを模索し、人物を描くなどしていた。しかしある時から、自分にリアリティのあるうそのないものを作りたい、と思うようになり、自分自身が神からどんなメッセージを受け取ったかを形にしていこう、と方向性が定まった。
その方向性は今でも変わらないが、その時その時、神から語られるメッセージは違う。今回の個展で展示されている作品には、「人を表す土の器」のイメージが多く取り入れられている。ちょうど4年前の震災の時から作り始めた作品が、今回の個展の出発点になっている。アモス書を読んでいた高橋さんは、最後の9章15節から、「木を植える」という再生のみことばを受け取った。また、山登りをしていたあるとき、屋根から木が生えている家を見て、「面白いな」と思ったことがあった。神に見せられ、気づかされたものがつながった、「木」のモチーフも会場の至るところで見ることができる。
臨床美術士としてアートセラピーを教える仕事をしている高橋さんは、美術は趣味ではなく、召命感を持ってやっている、という。「私という管を通してビジュアル化した作品を見た人が、意味は分からなくても、そこに神様の顔が映し出されているのを感じてもらえたら」と話す。
高橋さんにとって、個展は一つの区切りとなる。作品を並べることで振り返ることができ、作品を見た人との会話の中で気づかされることが多くある。新しいスタートを切る場所だ。仕事の傍ら、オブジェは家で、版画は工房で休日に制作しているという高橋さん。作り続けるということが一つの課題となっている。「ここにこれただけで、ものすごい恵み。到達点がどこにあるのかは分からないし、どういうものを作らされるか今はまだ分からない。与えられた賜物を用いて証しできるように、次に向かっていきたい」と期待を語ってくれた。
「高橋文子展―憐みの器―」は、Oギャラリー(東京都中央区銀座1−4−9第一田村ビル3F)で、22日(日)まで開催。正午〜午後8時。日曜日は、午前11時〜午後4時。問い合わせは、Oギャラリー(電話:03・3567・7772)まで。