現在、過激派組織「イスラム国」に拘束されている後藤健二さんに、昨年5月インタビューした本紙記者が思いをつづった。
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20日夕方、知人からの電話に一瞬耳を疑った。「後藤さんが・・・拘束された」
日本で最後に後藤健二さんに会ったのは、昨夏。ある祝典の席だった。祝典が終わり、ロビーにいた後藤さんを見つけると、私から彼に駆け寄り、雑談を交わした。「この前は、インタビューをありがとう。本当によく書けていたよ。お互い、これからも頑張りましょう」と話し、いつものように握手をして別れた。いつもの穏やかな笑顔と共に。それから、何度かメールや電話を通して話をしたものの、次に目にする彼の姿がまさかあんな姿になるなんて、あの時、想像すらできなかった。
後藤さんと初めて会ったのは、今から6年程前。彼の講演会を取材した時だった。ゆっくりと、しかし時に熱く、時に冷静に戦火に苦しむ子どもたちの様子を話す姿に、彼の心の底にある「何か」を感じた。
「取材者が目で見たものを、それを『知りたい』と思っている人々に取材者の口から届けること」を大切にし、全国各地でこうした講演会を開いている。講演会のあとには、彼を慕う人々が彼を囲んでの食事会を開き、さまざまな意見を交わした。時に笑い話をすると、大きな笑い声と共に心から楽しそうな笑顔を見せた彼の姿が、今も私の脳裏にはっきりと焼き付いている。豪快に食べ、誰とでも気さくに話す。過酷な現場に身を置くジャーナリストだが、決して難しい顔をしたり、険しい顔をすることなく、「過酷な現場にある日常」を私たちに伝え続けてきた。
現地の子どもたちと接する中で、「子どもたちが見せるわずかな笑顔に、僕はどう答えたらよいのか・・・」と話していたことも忘れられない彼の言葉だ。彼はシリア人が大好きなのだ。昨年の誕生日にお祝いのメッセージを送ったときの返事には、「私に、誕生日のお祝いの言葉をかけてくださった様な『隣人を想う心』が、シリアの友人たちにも与えられればと、祈らずにはいられません」とあった。
どんなに小さな集会でも講壇に立ち、参加者からの質問にも熱心に答える。「手弁当で、どこでも行くよ」と笑う彼の言葉に嘘はなかった。「僕の話を聞く人々が何かを感じて帰ってほしい。今まで自分の持っていた心のメジャーをもう一度見直す機会になれば」と、私たちの心に「何か」を直接訴えてきたのだ。
私にインタビュー取材が多くなってきた頃、「どうしたら良い取材ができるか?」と後藤さんに相談したことがあった。すると、「お話を聞かせてもらうほどの関係になるのは、時間がかかりますね。それは双方が心と頭を準備する時間です。実際に会うことはなくても、その人たちを思って祈る。こうした共通の時間を過ごして行くことで、ついには相手の家族や周囲の人たちに認識されるようになってくるのでは」とメールで返事をくれた。彼もまた、シリアのために常に祈り、その温かな目に映る一人ひとりのために祈っていたに違いない。
ある時、彼の著書を購入した際にサインを求めると、「隣人を愛せ」と書き記してくれた。彼にとって隣人とは? 彼が愛する家族、親類はもちろん、友人・・・それだけではなく、彼がファインダー越しに見ている全ての人々だ。爆音が轟(とどろ)く地で、子どもを亡くし天を仰ぐ父親、「仕事がないんだ!」と大声で叫ぶ青年、「世界の皆さん!シリアを見捨てないでほしい!」と泣きながら叫ぶ女性・・・皆が彼にとっては「隣人」なのだ。私が初めて後藤さんに会ったときに感じた「何か」は、「隣人を愛する心」だったと、今、強く感じている。
世界中の「隣人」が後藤さんのために祈っている――「神様のご加護を」と。