大阪府八尾市。近鉄大阪線高安駅から少し歩いた閑静な住宅街の一角に、「喫茶ヘブンリー」、通称ヘブンリーカフェがある。
扉を開くと、木材を多用したナチュラルな内装で、壁にはみことばが並ぶ。カフェのオーナーは、高内寿晴(としはる)氏。温和で謙遜な人柄に、元牧師だと伺えば、なるほどとうなずかされる。
クリスチャンになる以前は、アルコール依存症状だったという高内氏。整骨院を開業していた高内氏は、患者さんへの義理で出かけた教会で、賛美の美しさや人々の温かさに心をつかまれた。牧師に「信じませんか?」と問われ、その場で「はい、信じます」と答えた。それから、毎週教会に通うようになり、やがて酒も煙草もやめられた。
当時、自殺か蒸発を考えるほどに深刻に悩んでいたという高内氏。だが、奇跡が起きた。その悩みを教会の友人に打ち明けた翌日、問題が根本的に解決。神がおられることを強く確信するようになったという。
1991年3月に受洗。94年には、夫婦共に初穂(家族の中で最初に救われた人)だという嘉恵(よしえ)さんと結婚。その翌年、整骨院の傍ら、「神様のことをもっと知りたい」と、JTJ宣教神学校(東京都)の通信教育で学びをスタートさせた。やがて第一子が誕生、仕事と勉強に育児が加わり、とにかく多忙だったと高内氏は振り返る。
「3年で卒業するところを、5年かかりました。憐れみで卒業させてもらいました」と高内氏。学ぶうちに、「教会開拓をしたい」という気持ちが芽生えていったという。2001年3月、卒業とほぼ同時に、教会開拓をスタートさせた。もともと一階が整骨院だった自宅の3階を教会に改装した。
開拓当初はなかなか人が増えず、時には一人で壁に向かってメッセージする日もあったというが、妻の嘉恵さんが、賜物を生かして子ども向けの造形教室を開いたところ、近所の子どもたちが集まり始め、教会学校がスタート。3年で大人10人、子ども10人ほどの群れに育った。その年の設立記念には、地域に開放されている近所の小学校の教室を借りて、大物ゲストを招いてのコンサートを行い、60人ほどの参加者があったという。その年の夏には、教会初のキャンプを行った。
ところが、教会内にリーダーシップに関する考え方に不一致が起こる。話し合いの結果、教会は分裂。信徒数は5人になった。
だがその後、単立だった教会がホープチャペルのグループに入ることになり、「ホープチャペル八尾」として生まれ変わった。そして、また人が増え始めた矢先、大腸ガンが見つかった。6年前のことだった。
既に肝臓に転移していた。今、思えば異変はあったという。「ずっと体調が良くなかったんですが、なかなか病院に行く時間がなくて」。今回の取材のためにと、高内氏が用意してくれた手記には、発病に関して、「不摂生」「自己管理の至らなさ」といった厳しい言葉が並ぶ。
診断結果を聞いたとき、高内氏がまず思ったのは、「死ぬのだろうか」ということだった。高内氏は賛美しようとしたが、なかなか歌が出てこず、それでもなんとか振り絞るようにして、ようやく出てきたのが、「主よ感謝します」だった。
主よ、感謝します
今のこのときを 試みの中にも主の平安がある
誰が私を主から離すのか
悩み、苦しみ、飢えか、剣か
何ものも私を離すものはない
主の深い愛から 離すものはない
やがて、賛美が心を埋め尽くした。「何度も、何度も、何度も、何度も賛美して。そしたら、心が落ち着いて。ああ、もうなったものは仕方がないと受け入れられることができましてね」。その経験は、「賛美すれば、乗り越えられないものはない」という自信につながり、高内氏の信仰が変わるきっかけとなった。
S字結腸を切除する手術を受けた翌年、肝臓ガンが大きくなっていることが分かり、肝臓の6割を切除。さらに2年後、左肺に転移が見つかり手術。そして、昨年には左肺のガンが再発、4度目の手術となった。だが、その数カ月後、また再発。今度は左右の肺にガンが星のように散らばっている状態であることが分かり、抗がん剤治療が始まった。そして、今年の8月。左骨盤への転移が分かり、放射線治療は15回に及んだ。だが、「嫌だな、と思うことはあっても、怖いと思ったことはない」と高内氏は語る。(続く)
■ ヘブンリーカフェオーナー・高内寿晴氏インタビュー:(1)(2)