臨床心理士で、聖学院大学准教授である藤掛明氏の講演会「人生の夕暮れ 一六時四〇分 ~臨床心理士のがん体験~」(キリスト教カウンセリングセンター主催)が1日、東京・四谷で行われた。
自らの闘病を明かした著書『一六時四〇分 がんになった臨床心理士のこころの記録』に沿い、入退院を繰り返した経験を振り返りながら、病気の人だけでなく、一見して健康そうな人にも起こり得るメンタル危機の向き合い方について語った。
「一六時四〇分」とは、人生を24時間にたとえたもの。年齢を3で割ると、自分の時間がわかるという。「私ががんの告知を受けたのは50歳。3で割ると16、余り2です。私の人生時計は16時40分でした」。著書は闘病記というより、後半戦の人生論として書いたという。
体調の悪い時は、もうすぐ死ぬのではないかと考え、別の時には楽観的にまだまだいけると思う。さらに、治そうと思う気持ちと、がんと折り合っていけばいいんだという気持ちの間で揺らいだ。「短期計画で生きようとする自分と、長期計画で生きようとする自分がいました」。2つにぶれる自分、二律背反(にりつはいはん)の自分を経験したことで「いろんなものが同時に存在する自分というものがある」ことに気づいた。
「クリスチャンとしては、すごく本質的なテーマだと思いました。信仰者として神様の主権と計画を認めながら、人間としてのベストを尽くす。これも2つの自分です。同時に2つを目指して、百たす百は百、というようなことも起きているわけです」
2009年から抗がん剤治療などを受けてきた藤掛氏の血液のがん(悪性リンパ腫)は「完全寛解」したと言うが、「がんの姿が目に見えなくなったというだけで、がんとのつきあいの新しいステージに入ったとも言えます」
深刻な悩みに直面した時、人には3つの選択肢があるという。1つ目は「新しい世界に飛びつく」。離婚の危機にある人であれば、別居を決断する。「これは、新しい自分に出会えるわけですから、ときめきます。充実感がある。しかし長い目で見ると、人生が脱線していきます」
2つ目は「一時の気の迷いと思って、忘れる」。離婚の危機があっても、もとの鞘(さや)に収まる。「これも失敗します」。これまでの生き方では、もうまかなえなくなっていて今の状況があるので「窮屈感から逃れられない。息切れの人生が待っているだけです」と分析する。
では、どうすればいいのか。3つ目の選択肢として「どちらも選ばない」というものがあるという。離婚の場合で言えば、「離婚しない。もとの鞘にも収まらない」。どちらも本当の自分の一部だと受け止め直して、尊重する。「夫のために尽くしてきた自分も本当の自分の一部だし、夫を嫌う自分も確かに自分の一部なのです」
たとえ、自分らしくなさそうな自分に思えても、「自分を豊かにするチャンスとして、それを抹殺しない。しかし、虜(とりこ)にもならない。だいじな自分の一部として受け止めていくことが必要なのです」と説いた。
人生の後半戦を生きていくために大切なこととしては、①他人に支えられる(よりよく助けられる者は、より人を助け得る)、②語り合う(答えを用意しない。助言しようとしない)、③物語る(自分の体験を解釈し、人生の流れを受け止める)、④迷える(迷いや悩み自体は問題ない。結論に飛びつかない)、⑤自分らしくない自分を味わう(いろいろな自分をつなげ、統合する。いろいろな自分を発見する)を挙げる。
「いろいろな自分を発見」については、「できるだけくだらない、しょうもない、ささやかな気晴らし」を多く持つことが勧められた。石ころを拾うとか、レゴブロックで建物づくりなどでいいという。「素の自分を味わえる瞬間を探してください」
講演会のしめくくり、藤掛氏の呼びかけで来場者が3~5人ずつの円座になり、「自分のしょうもない気晴らし」を披露し合う時間が設けられた。これが初対面でも意外にくつろいで語り合えて、脱線もしながら盛り上がることができる。
木の実を集めてオブジェを作るという女性の報告に、藤掛氏は「少し高尚すぎるのが欠点ですね」と笑顔で応答。藤掛氏自身、語り合う仲間と「しょうもなさ」を競うこともあると言う。「人の気晴らしを真似てみてください。使ったことのない自分の一部に触れてみること。それがいいのです」