バークレー・F・バックストン(1860〜1946)の語った「聖霊による潔(きよ)め」を目指す、第55回バックストン聖会が、21日から23日にかけて、日本基督教団渋谷教会(東京都渋谷区)で開催された。
バックストンは英国の貴族の家に生まれ、ケンブリッジ大学で学んだ後、1890年に日本伝道のため来日。島根県松江でわらじばきで伝道する傍ら、多くの伝道者や信徒を訓練し、松江バンドと呼ばれる日本の純福音派の源流を生み出した人物だ。英国に帰国した後も再三来日し、各地を巡って講演会や修養会で語り、彼の教えを受けた人々は日本の各方面に及んでいる。
「聖霊を受けよ」と語ったバックストン。語るだけではなく、実際に自身の生活をもって、聖霊の働き、聖霊による潔めを表して生きた。
宣教師嫌いだったという内村鑑三も、バックストンに対しては、「彼は人類の華だ、誇りだ。彼のような人を見ては英人も米人もない。人類別が忘れられる。彼が人であることをもって、われわれの光栄とする」と述べていたという。
3日間にわたって開催された今回の聖会は、それぞれ午後の集会と夜の集会が持たれた。日本イエス・キリスト教団香澄教会・工藤弘雄牧師、日本ホーリネス教団坂戸キリスト教会・郷家一二三牧師、インマヌエル高津キリスト教会・藤本満牧師、日本ホーリネス教団坂戸キリスト教会・村上宣道牧師、日本基督教団東京新生教会・横山義孝牧師が各集会ごとにメッセージを取り次いだ。
1日目の夜の集会で講壇に立った横山氏は、「心の底から新たに」と題して、天にも地にも満ちておられる全能の主が、聖霊として私たちの内に住んでくださるという大いなる恵みについて語った。聖書箇所は、エフェソの信徒への手紙4章17〜24節。
バックストンの働きに端をなす、現在の関西聖書神学校で学んだ横山氏は、神学生時代、「私たちのうちにキリストが宿ってくださる」「内住のキリスト」を耳にたこができるほど聞いていたという。しかし、頭では分かってはいたものの、霊的な体験にはつながっていなかった。
1950年に神学校を卒業し埼玉県で開拓伝道をする中で、魂に非常な渇きを覚えるようになり、寝ても覚めても、聖霊の油注ぎを祈り求めるようになった。自分の力によって情熱に突き動かされて伝道するのではなく、神の宿った潔い器に変えられることを求め始めた。そして、1960年3月13日の主日の朝、説教に向かおうとしたときに、聖霊が注がれ全身が満たされる体験をした。そのとき以来、「我汝の内に宿り、かつ歩む」と仰せられた主に従って働きをなしてきた。
聖霊が与えられると、「わたしの証人となります」(使徒1:8)という聖書の言葉通り、語る言葉が潔められ、伝道、証、求霊の働きに大きく用いられるようになる。それだけでなく、聖霊が霊肉全てをコントロールし、霊肉ともに健康が与えられるようになる。そのためには、心の底から新たにされるため、罪の悔い改めと、自分自身の全てを100パーセント、神に明け渡す必要がある。
ペテロがイエスに言われたように、霊的に若いクリスチャンは「俺が、私が」と自分の歩みたいように歩んでいるが、成長していくにつれ、「自分の行きたくないところ」に導かれていく歩みができるようになる。それは、決して不自由なことではない。自分の霊の王座にキリストを迎え、「これが道だ。これに歩め」(イザヤ30:21)と、神の声を聞きながら歩める人生は幸いである、と大胆に語った。
しかし、「そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます」(エフェソ4:17)とパウロが記しているように、この聖霊の恵みと祝福は命令ではなく、勧めだと横山氏は語る。イエス・キリストの十字架の死と復活により罪を贖(あがな)い、聖霊の宮として内住してくださろうとする神の愛に、愛をもって応えませんか、という勧めなのだという。
心の戸を開いて霊の王座にキリストを迎え、全てを主に委ねて、神の言葉に従って歩む恵みに、一人でも多くのクリスチャンがあずかることができるように、潔い行いをもって聖霊の働きを証していきましょうと、横山氏は励ました。