キリスト聖書学園(CBI)主催のカンファレンス「LOVE JAPAN」が、11日から東京、名古屋、大阪の3会場で同時に始まった。「神様の素晴らしい愛を御言葉の取り次ぎと礼拝を通して共に喜ぶこと」を目的として、日本と他3カ国から、ジョン・パイパー氏、ドン・カーソン氏、マイケル・オー氏、品川謙一氏、ピーター・チン氏、ジェフーン・リー氏、ジェット・リー氏の計7人の講師陣を招く(ジェット・リー氏はビデオレターのみ)。講師は3カ所の会場を入れ替わりで巡り、12日、13日にもカンファレンスは開催される。
東京の会場となったウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会(新宿区)には、初日約400人が訪れた。会場入り口の受付でチェックインを済ませた参加者には、印として「LOVE JAPAN」と刻まれた白いシリコンバンドが配られた。
キリスト聖書学園のディレクターは冒頭の挨拶で、この3日間のカンファレンスが参加者の人生を変える何らかの機会になってほしい、心が変わる体験をしてほしい、と期待を述べた。また、「みなさんは世界中の方々から祈られています。ここに集った一人ひとりが、何カ月も前から祈られている方々です」と、世界中のクリスチャンが日本を覚えて祈り、支えていることを伝えた。
この日の最初の講師、日本福音同盟(JEA)総主事の品川謙一氏は、「破綻した経験はありますか」と参加者に語りかけた。品川氏自身の破綻の経験は、中学生の時の両親の離婚だという。
クリスチャンの家庭でありながら両親が離婚するという出来事は、神への怒りや、教会への不信感を抱かせた。逃げるように米国に渡り、高校、大学時代を過ごす。自分がイメージしていた家族、教会が壊れてしまったことから、「本物はどこにあるのだろう」という模索が始まった。
しかし、米国で友人にしつこく教会に誘われ、嫌々顔を出す中で、再び聖書を手に取ることになる。そこで、マルコによる福音書15章22〜37節に描かれたイエス・キリストの十字架の場面と出会う。イエスをののしる祭司長たちの姿と、神に対して怒りを持っていた自分自身の姿が重なった。
「神・罪・救い」という幼いときから耳にしていた方程式が、初めて自分のことであると悟った。「ここに本物がある。自分の一番罪深い姿も含めて愛してくれる方がここにいる」と、再びクリスチャンとして生きる決断に導かれる。
「破綻の先に本物がある」。この真理を分かち合いたいと品川氏は語る。自分の守りたいものがあるから頑張れる。そうしたものが自分の創り上げている虚像であるとすれば、本物に出会うためにそれらが一旦破綻する必要があるのかもしれない。私たちが思っている以上に神の愛は深くて大きいのだから、自分で決めてしまっている限界にぜひチャレンジしてほしい、と品川氏は語った。
クリスチャン人口が非常に少ない日本においても同じことが言えるという。私たちが考えるクリスチャン、教会のあり方が、神にあって破綻した先に神の目指す現実があるのかもしれない。そこにチャレンジすることで、クリスチャンではない日本の99パーセントの人々に福音が届けられる可能性があるのではないだろうか、と品川氏は語った。
そして、チャレンジするにあたっては、イエス・キリストの十字架を思い出してほしいという。父なる神に見捨てられるというどん底を味わってまで私たちを愛してくださったその愛を覚えれば、恐いものは何もないでしょうと励ました。
2人目の講師は、米トリニティー神学大学教授で新約聖書研究が専門のドン・カーソン博士。世界的な学者であるカーソン博士は、ヨハネによる福音書3章を詳細に解説し、神の愛には様々な側面があることを明らかにした。ジョークを交えたカーソン博士のメッセージに、会場は何度も笑いに包まれた。
福音と言うと、クリスチャンではない人々にイエス・キリストの愛を宣べ伝えるという印象が強いかもしれない。しかし、「神のことばにある真理が語られることによって、人々の信仰は強められる。信仰が本当に価値あるものであるのは、その信仰の向いている先が真理であるからだ。しかし、ただイエス・キリストの十字架と復活を信じればいいというだけではなく、その真理に自分自身の全てを委ね、従わせていくことができるかが大切なのだ」と語るカーソン博士のメッセージは、福音は今日を歩むクリスチャンの成長のために、真理を宣べ伝えるためにも必要なものであるということを、人々に印象付けた。
メッセージは、日本語と英語で語られ、参加者も日本人ばかりでなく、非常に国際色豊かであった。
このカンファレンスが掲げる「LOVE JAPAN」という言葉には、主語がない。「日本を愛する」のは誰か。神が日本を愛しているという大きなメッセージだけでなく、世界中のクリスチャンが日本を愛しているというメッセージも含まれていることを肌で感じるカンファレンスだった。そして、日本人である私たち自身が、この日本を愛し、神の愛を宣べ伝えていこう、そう応答する機会なのではないだろうか。