仏教者や神道関係者、キリスト者などがつくる平和運動団体「宗教者九条の和」は9月27日、東京カテドラル関口教会(東京都文京区)のケルンホールで、「輝かせたい憲法第九条 第10回シンポジウムと平和巡礼 in 東京」を開催し、「輝かせたい憲法第九条」の願いを呼び掛けるアピールを採択した(下に全文)。
この集会では、千葉大学の三宅晶子教授(ドイツ文化論・比較文化論)が、「国家が戦争に向かっていく時 宗教と<人間の尊厳>弾圧・抵抗・協力の過去と現在」と題して講演を行った。
三宅教授は講演で、ナチスや日本の軍国主義を含む19世紀後半以降のドイツと日本の戦争をめぐる歴史を比較。こうした歴史を振り返り、「本音が言えなくなるということが徐々に徐々にいま私たちの中にも起きているが、本音が言えなくなるということが一番の戦争へのスプリングボード(跳躍台)ではないかと思う。それを早い段階で、日常の中で阻止していくということ。いろんな本音をみんなが言い合える場所にしていくことが、私は一番、いま大切なことではないかと思う」と述べた。
三宅教授はまた、ドイツと日本について、過去の克服をどうしてきたか、過去の問題に対する対応のしかたの比較を行った。
「(日本は)自国による裁きをしていないということ。それから、抵抗や亡命に関しても、やはり日本軍は少ないのかもしれない。あるいは伝えられていない、隠されているのかもしれないと私はかなり思っている」と三宅教授は述べた。
「あれだけ特高や憲兵がたくさんの人を、みんな抗(あらが)っている間に連れて行った。ということは、それだけの人がいろんな点で本音を言ってしまっていた。なじまない人たちはたくさんいたと思う。そして、まさに抵抗した人たちもたくさんいた」と三宅教授は指摘した。
「例えば(反戦活動家の)長谷川テルなんていう人は、(日本の)学生は(その)名前を全然知らない。ドイツだと教科書に載っている。抵抗が大事だということで、抵抗者がいろんな形で伝えられている。日本では伝えられていない。むしろ、あの時はみんな、ああいう戦争状況になったら仕方なかったんだということが伝えられてきているのではないのか。抵抗した人たちがいるということは、『じゃあ、あなたたちは抵抗しなかったんですね』ということになる。抵抗者が名誉回復されていない。そのまま非国民扱いで、隠蔽され、抑圧され、忘却されている。もしかしたら軍隊の中にもいた。上海で反戦ビラが回っていたとか、それを伝えていないということがあるのではないか」と、三宅教授は述べた。
また、「(日本では戦争の)始まりがはっきりしていない。ドイツではナチスとはっきりしている。でも日本だと、やはり植民地支配からいうと日清戦争からか」とも語った。
さらに、「ドイツは政治家がリーダーシップをとっている。国民がいきなり罪を悔いたわけでは全然なくて、政治家が外交上必要とか、国を再編するために必要ということもある。リーダーシップを言葉を尽くしてやっていった。テキストがどんどん洗練されていくかまたは読まれていく」のに対し、「日本だと政治家がダメ。むしろ失言をしてしまう」と、ドイツと日本の政治家を比べながら言った。
その上で三宅教授は、「過去の克服はまだまだかもしれないが、9条を守ってきたというのは政治家というよりも市民の力だ。戦争は絶対やらないと言い続けているのは、むしろ市民の力ではないか。戦争の記憶を伝え続けてきたのは、市民運動の力だ。これはドイツからいらっしゃった方も非常に驚かれるものがある。市民の力がここまで9条を守ってきたということではないのか」と、市民の重要性を強調した。
「特に謝罪に関しては日本は隠そう、あるいはねつ造しようとしているが、まさにそれを知らせるとむしろ誇りにしはじめている。それがちょっと危険かなという気もしないのではないが」と同教授は危惧を表した。その上で、「想起の文化で特徴的なのは、ドイツは被害の想起ではなくむしろ加害の想起をする。被害ということをなかなか言うことができなかった。むしろそういう状況があるくらいだ。そこが(日本とは)逆だ」と指摘した。
「和解ということでいえば、現状は明らかに、東アジアはまだまだ遠い道のり」と、三宅教授は日本の現状に触れて言った。「そして軍隊に関して、ドイツでは東西冷戦の真っただ中で、東西対立の最前線を国内に、東西ドイツを持つような状況なので、軍隊が再軍備された。徴兵制も復活するが、良心的兵役拒否はつくっている。重要なのは、軍隊は作ったんだけれども、自衛に徹していた。自衛といってもそんなに使ってはいなかったわけだが、湾岸戦争の時、日本と同じような状況で、『貢献しないのか?』という外圧が強くなっていく中で、ドイツは軍事貢献しないと政治家がそれを進めていくわけである。94年には憲法裁判所で、域外の派兵はいいんだという裁判所の判断が出た。まさに憲法の解釈を変えたわけである。そして実際に派兵をしていく。直接的な攻撃というのはやっぱり自制をしているが、9・11の後、アフガニスタンには後方支援という形で軍隊を出して、でも結局どこが後方だか分からなくて、結果ではどんどん戦争状態になって戦死者が55名出ているという状況である」と同教授は説明した。
三宅教授はさらに、「だから、9条に関しては、ドイツは戦争(をする)『普通の国』になっていった。アメリカのようなやり方ではないが、集団的自衛権の行使をやっている。日本はそこがドイツと違う国として、9条の『殺さない』ということをやり続けることが正念場であると思っている」と結んだ。
その後行われたシンポジウムでは、日蓮宗僧侶の小野文珖氏と三宅教授が対談を行った。その中で、小野氏が学習の重要性を強調した。これに対し、三宅教授は、「全部の教科書ではないが、『独仏歴史教科書』には村山談話のテクストがちゃんと載っている。でも日本の教科書には載っていない。外から見ればあれが唯一の日本の謝罪であり、日本も謝罪したんだということが歴史教科書に載っている。日本では(村山談話を)変えようとする。あれは『間違っていた“恥”』として隠そうとしている。そこに想起と忘却の差が出ていると思う」
「ドイツ人はすごくモラルの高い道徳的な国民だったからとか、そういうことではなかったと思う。(日本とは)周りの環境が違うということも大きかっただろうとは思う」と三宅教授は指摘した。「ドイツはヨーロッパのど真ん中で、周りは全部が加害してしまった国々で、ドイツがとにかく国を再建しようとするときには、被害国に囲まれていて隠しようがないわけだから、全部それを徐々に認め、そして謝罪ということをまずやらないとメンバーに入れてもらえないような状況が国際情勢としてはあった。日本だとアジアは周りの国々がそれぞれ内戦をするとか独立をしていくとか、まだまだ大変な状況が続いていて、中国と国交が回復したのも72年だっだ」
小野氏は群馬県高崎市の大きな公園にある「記憶 反省 そして友好」という、戦時中に強制連行の犠牲になった韓国・朝鮮人の追悼碑を今年、撤去せよという命令が県庁から出ており、その碑を守る会が裁判で守ろうとしていることを指摘し、その碑文の全文を読み上げた。
これに対して三宅教授は、その記憶を受け止める学習をやらなければならないと述べた。そして、「これは現在の問題であり、それを止めようとするのかどうか、『私は朝鮮人ではないから今は困った状況にはない』という生き方を私たちが今するのであれば、私たち自身の命を危うくすることになるんじゃないかと思う」と付け加えた。
「選挙で政権を変えるということをやらないと。戦前と今とで大きく違うのは、女性が投票権を持っていること。(ナチスのように)半年で独裁ができるという認識で動きましょう。意識を持った人たちが投票すれば、これは絶対変えられると思う」と三宅教授は呼び掛けた。「安倍(政権)の方針を国民の方針として形にしてしまうならば、東アジアでの責任は全く問われないままに、私たちは責任を果たせないままに、命を差し出すことになってしまうんじゃないかと思う。政権を変えましょう」
東アジアの和解は可能かという小野氏からの問いに対し、三宅教授は、「ヨーロッパでいろいろな努力がなされてきた。東アジアでできないはずはない。人格としての関わりは必ず通じる。ここからが私たちが変えていく転機になる。その時代だと私は思う」と答え、和解は可能だとの認識を示した。
「若い世代はとても不安なんだと思う。生活がどんどん不安になっている。未来に対して希望が持てない。そういう中で誇りを持ちたいという。ナチス党は普通の人たちの心に、生活の問題に寄り添ったという。生活そのものを支え、社会のあり方そのものを変えていくということを同時にやらないと。強い国になれば自分の生活が安定していくと思っている方が多いんじゃないか。でもそれは逆で、自分たちの生活の基盤や命を崩しかねないことになっていく。生き方や働き方に関わる産業構造そのものを変えていかなければいけない。世界はそれを見ているのに日本はそれをやってないから、私たちは生きる基盤をどんどん取り崩していっている。それを早く再建しないと、このまま不安だけを募らせていく人々が増えていくんじゃないかと思う。それはむしろ戦争に誇りを求めてしまうようなナショナリズムを挑発することにつながっていくんじゃないか」と、三宅教授は述べた。
「戦後の想起の文化を作ってきた、あるいは被害へどう対応していくかを考えていくときに、やっぱりドイツでキリスト教は基盤にあった。宗教という基盤を持った方々が、信念をもって声を出すということ、そしていろいろなところで声明を出していることに、私は非常に感銘を受けた。信念を持った方々が一緒にやっていらっしゃるということ、この宗教の力というのは想起の文化にとって非常に大きな確信力になり、(宗教者はそういう)力を持っていらっしゃると思う。ぜひ一緒に(想起の文化を)作っていきたいと思っている」と、三宅教授は結んだ。
その後、参加者らはアピールを採択した。総合司会の浅野善雄氏(金光教非戦ネット)は、このアピールを全国会議員に送付したいと述べた。
閉会の挨拶をした日本カトリック正義と平和協議会の事務局長である大倉一美神父は、「『国家が戦争に向かっていく時』、『弾圧・抵抗・協力』ということでは(カトリックは戦争に)協力したし、弾圧に負けたし、抵抗しなかった」などと語り、平和巡礼でいつも首相官邸前で唱えているアピールをやりたいと語った。
参加者らはその後、JR目白駅まで歩いて平和巡礼をし、声を出して日本が戦争のできる国になることに反対の意を表した。
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「宗教者九条の和」
輝かせたい憲法第九条
第10回シンポジウムと平和巡礼in東京
アピール
人間の尊厳がないがしろにされた時、その先に侵略戦争があったことを歴史は教えています。
日の丸・君が代の法制化と、愛国心教育の強要。そして道徳の教科化の動き。社会的には塀とスピーチの横行。人間の尊厳が、また、ないがしろにされつつあります。
集団的自衛権の行使容認=解釈改憲が閣議決定され、侵略戦争を正当化する「日本会議」支援の議員で占められた安倍改造内閣の発足。“日本が再び「戦争する国」になるのでは”との不安が急速に高まっています。
人間の尊厳を守り、「戦争する国」づくりをストップさせる国民的な運動が、今、求められています。人間の尊厳の大切さを誰よりも知っている私たち宗教者が、その良心をかけて奮闘しましょう。
閣議決定の強行を機に、集団的自衛権行使容認に反対する世論はいっそうの広がりをみせ、決定撤回をめざす共同した運動へと続いています。関連法案に反対する行動も、すでに始まっています。こうした取り組みの前進に、私たち宗教者も協力していきましょう。
「戦争する国」づくりに反対する上で、先の侵略戦争の歴史に真摯に向き合うことが重要になっています。実相の紹介や戦争責任の表明などを通し、国民世論の形成発展に力を尽くしましょう。
憲法第9条に象徴される平和の実現について、憲法前文は私たちに、「人間相互の関係を支配する崇高な理想」の「自覚」と、「平和を愛する諸国民の公正と信義」への「信頼」を説いています。それらは私たち宗教者の行動にも通じるもの。その実践に努めましょう。
私たちは呼びかけます。
「輝かせたい憲法第九条」の願いのもと、すべての宗教者は手をつなぎましょう。
「輝かせたい憲法第九条」の願いを、日本に、世界に広げましょう。
2014年9月27日
第10回シンポジウムと平和巡礼in東京 参加者一同
(カトリック東京第司教区東京カテドラル関口教会ケルンホールにて)
■ 三宅晶子教授講演映像