ギブソンと並んでアコースティック・ギターの世界的なメーカーとして知られる米国のマーティン(Martin)。クリスチャンでもあるかのエリック・クラプトンをはじめ、数多くのギタリストたちに使われてきた。その名は越川宏英ほか編『教会音楽ガイド』(日本キリスト教団出版局、2010年)にも出てくるほどだが、その創始者であった初代クリスチャン・フレデリック・マーティンの信仰と生涯は、日本ではほとんど語られることがない。
マーティンの英文サイトによると、彼は1796年1月31日にザクセン王国(現在のドイツ)のノイキルヒェンで生まれ、2月1日に幼児洗礼を受けた。14歳のときに堅信式を迎え、初めてのホーリー・コミュニオン(Holy Communion)にあずかったという。カトリック教会であれば聖体拝領、聖公会やルーテル教会であれば聖餐式と訳されるところだが、教派名は明記されていない。
父親からギター製作を学んだマーティンは、15歳でウィーンへ行き、スタウファーというギターメーカーで14年間働いた。その後、ハープの製作家の下で働き、1825年にウィーンでその製作家の娘でハープ奏者兼歌手であるルシアと結婚。7人の子どもに恵まれた。そして、1833年に家族と共にニューヨークへ移住し、ギター製作家としての人生を歩み始める。
ニュージャージー州チェリーヒルに引っ越して23年後に、彼は現在のマーティンの工場があるペンシルベニア州ナザレに移り、約11年間過ごした。マーティンギターの製造は、1839年から今に至るまでそこで行われている。
1842年に史上初めてX型ブレイシング(ギター内部に取り付けられた棒状の力木)による「Size 1」という小さなギターを作り、当時の優れた女性ギタリストであったマダム・デロレス・N・デ・ゴニから高く評価された。このブレイシング・パターンは、現在でも多くのギターに受け継がれている。
1850年代には「Size 1」より少し大きいギターを作るようになり、1859年には現在まで5世代にわたるマーティン家の土地となるところに新居を構え、小さな工場で製作を続けた。
マーティンは健康に恵まれたものの、晩年は脳卒中を再発。1872年に妻に病気で先立たれてからは息子の家で生活し、老衰しながらも、たとえ短時間であってもギター工房で仕事をしたという。翌年、彼は生涯を終えた。
彼の兄弟が書き残した文には、彼の信仰と生涯についてこう記されている。
「彼が宗教のことを語ることはめったになかったが、彼の行いそのものが、彼の人生が神の子への信仰の人生であったことを示すものであった。彼は自らの愛を示すとともに、『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイ25:40)という預言に関する地上の神の子たちへの静かな証を通じて、逆に愛を受けたのである」
その行いは彼の子孫に受け継がれ、1930年代に作られ始めた「Martin D-28」や「Martin D-45」をはじめ、アコースティック・ギターの歴史に残る名器を輩出し、現代音楽に大きな影響を与えたことは言うまでもない。
マーティンのアコースティック・ギターは日本でも全国の楽器店で販売されているが、その起源には、創始者のキリスト教信仰があったと言えるのではないだろうか。