感動である。
土着の文化に根差して主を心から賛美するとは、例えばこういうことなのかと、教えられるところが大きい。
華麗なオルガン演奏もなければ、派手なバンドによる伴奏もない。ただ、素朴ながらンゴマ(Ngoma、発音に注意!)と呼ばれるジンバブエの太鼓による力強いリズムと、木の実でできたマラカスのようなシェイカーを振る音、そして例えば「イエス、我らはここに」(Jesu, Tawa Pano)というようにわかりやすく短い歌詞の繰り返しで歌う重層的な合唱。
それだけで、まるでアフリカの大地を思わせるような響き。そこに生きる人たちのいのちの胎動が聞こえるかのようである。
そんな歌を作り、その合唱や研究を指導するパトリック・マツィケニリ教授は1937年生まれ。ジンバブエ東部の都市・ムタレにあるアフリカ大学で音楽と文化を教えた後、2003年から米国ミシガン州エイドリアン単科大学で音楽を教えた。現在は再びアフリカ大学で教鞭をとっている。賛美歌作家として、またアフリカの音楽の専門家として、世界教会協議会(WCC)や米合同メソジスト教会を通じて国際的に知られている。
かつて米国の教会音楽研究者、C・マイケル・ホーン教授(サザン・メソジスト大学)は、2003年の著書『Gather into One: Praying and Singing Globally』(Wm. B. Eerdmans Publishing Company, January 1, 2003)で、「ンゴマの精神 パトリック・マツィケニリとジンバブエの土着の歌」という章を約40ページにわたって記した。その中でホーン教授はマツィケニリ教授が「地域の教会音楽家から世界的な主動者へ」と変わっていったと紹介した。
1998年にジンバブエの首都ハラレで世界教会協議会第8回総会が行われたとき、そこではマツィケニリ教授の作詞・作曲による歌もいくつか歌われた。それらの歌が含まれている「Africa Praise Songbook」のCD(1995年)と歌集(1998年)が、米合同メソジスト教会の世界宣教局(GBGM:The General Board of Global Ministries)から現在も出ており、音源もその歌集のウェブサイトで一部聴ける。歌っているのはアフリカ大学クワイヤで、指揮者はマツィケニリ教授。収録されている曲は、同教授の代表曲の一つである「Jesu, Tawa Pano」を含め、モザンビークやケニア、ジンバブエ、南アフリカ、スワジランド、マラウィ、タンザニア、ナイジェリアから合計14曲。
ただ、これらは日本では販売されておらず、入手するにはGBGMから直接購入するか、または米国のアマゾンなどで買うことになる。
一方、2007年に米合同メソジスト教会の「Abingdon Press」から出版されたマツィケニリ教授の編集による歌集「NJALO (ALWAYS) A Collection of 16 Hymns in the African Tradition」 には、表紙の内側にCDが付いている上、日本のアマゾンでも買える。こちらは1曲だけ西アフリカの国・カメルーンの歌があるほかは、ほとんどがみなジンバブエの歌であり、マツィケニリ教授の作詞・訳詞や、作曲ないし編曲によるものも多い。
いずれもジンバブエのショナ族の言葉であるショナ語やンデレレ語などアフリカの原語による歌詞に、歌える英訳がついている。
日本の教会では近年、一部の賛美歌集でアフリカの賛美歌が日本語訳で採り入れられるようになった。しかし、その音源は日本語で歌われたもの以外は、インターネットで自ら探すか、あるいはキリスト教の国際的な大会やアフリカの教会へ自ら行くなどしない限り、聴く機会がとても少ない。たまにアフリカの聖歌隊が来日公演することはあるものの、アフリカからの移民が集まる国際的な教会でなければ、ふだん教会でアフリカのクリスチャンが歌う賛美歌を直接耳にすることはめったにない。それだけに、こうしたCDや歌集は貴重であろう。
日本賛美歌学会は2006年大会でアジアの賛美歌に詳しい台湾の教会音楽家・駱維道氏を日本に招いて講演会や賛美歌フェスティバルを行った。2009年大会ではラテンアメリカの賛美歌作家でアルゼンチンの国際的な教会音楽家であるパブロ・ソーサ氏を日本に招き、その約2年後にCD「だから今日希望がある〜南米の新しい賛美歌」がコウベレックスから発売された。
アフリカの賛美歌はどうだろうか?ここに紹介したCDや歌集に収められた歌を味わうと、いつかマツィケニリ教授が来日して日本の教会でアフリカの賛美歌を教え、日本の教会がアフリカのこうした賛美歌を演奏し歌う日が来るのだろうかと、筆者は想像したくなるのである。そして、その歌を通して日本の教会がアフリカのクリスチャンたちから何を学ぶことができるだろうか、と問うてみるのである。