いつの時代も多くの国で「自殺」は大きな社会問題となっている。日本では、1998年に初めて自殺者が3万人を越えたが、2012年には3万人を下回り、一見、予防対策が効を奏しているように見える。しかし、若年層(15〜24歳)の自殺死亡率は増加傾向にある。「ここにわが国の大きな問題がある」と千葉県船橋市立医療センターの精神科医・宇田川雅彦氏は語る。
宇田川氏は、医学を志した大学1年生の時に教会へと導かれ、大学4年生の時に受洗の恵みにあずかった。高校時代の友人を自殺で失った経験がある。また、医学生だった当時、病院実習で患者の平均年齢が、小児科を除き、精神科が一番低いことを知る。「若いうちに心の病にかかると、人生のスタートで大きな重荷を負い、その後も大切な節目節目で苦労をすることになる。若い時期から心の病に苦しむ人を支え、自ら命を落とすことのないように助けたいと願い、精神科医を志した」とそのきっかけを語った。
船橋市立医療センターに勤務する精神科医は宇田川氏1人。毎日予約外来患者を1人で診察し、外来診療の合間には救命救急センターの自殺未遂患者や各病棟に入院している患者を診察。がん患者を対象とした緩和ケアチームのリーダーも務める。週末も病院からの呼び出しがあれば、駆けつけなければならない。長期休暇はおろか、「風邪は週末にしかひかない体質になってしまいました」と笑う。
救急救命センターがあり、病床数449床もある大きな総合病院で、医師がたった1人しかいない診療科があることに驚きを隠せなかった。「総合病院に精神科がない所は多く、いても1人、多くて2人というところがほとんどです。これは現場の医師から言わせてもらえば、危機的状況だと思います。自殺未遂患者が救急車で運ばれてきたとします。身体の問題については、救急科や整形外科など他の診療科で診療をすることができます。しかし、それらの診療科と連携して、自傷行為や自殺未遂に至った原因を探り、心の病がないかを診察し、再び自殺行動を起こさないように治療するのは精神科医の仕事です。救急医療の現場にこそ精神科医は絶対に必要」と宇田川氏は語る。
なぜ自殺は後を絶たないのだろうか?自殺をする人、自殺未遂をする人の全てが精神疾患にかかっているというわけではない。「その原因には3つの要素がある」と宇田川氏は語る。1つは、生きているだけで「耐え難い心の痛み」を感じる状況が何かしらの原因で続いてしまっていること。2つ目は、自分など役に立たず、存在意義がないと感じる状況にあり、さらに孤立している状況に苦しんでいること。たとえ形の上では学校や会社などに属していても、心のつながりが築けていない状況が続き、耐え難い孤立感から自殺を考える人も多い。近年、SNSやネットなどによる陰湿な「いじめ」を原因に自殺する若者も大きなニュースになっているが、「ネットは使い方次第。コミュニケーションが苦手な人にとって、ネットでのつながりは有意義。そこを誹謗、中傷の場にしたり、仲間はずれの道具にしたりすれば、ネットもいじめの道具となる。しかし、ネット社会の普及が『若者の自殺増加』の直接の原因ではないだろう」と宇田川氏は言う。3つ目の原因として、うつ病などの精神疾患を挙げた。自殺行動をとる人の多くが心の病に罹患しているという。
「死にたい」と訴える人が、自分の周りいたら、私たちはどうしたらよいのだろうか。「『死にたい』の裏側には、『生きたい。助けてほしい』の言葉が隠されていることを私たちは忘れてはならない。耐え難い状況が続き、『死にたい』とやっと告白をした人は、実は生きたいのです。SOSを発信しているのです。その人に向かって、頭ごなしに『死んではいけない』と正論だけを言うのでは、あまり助けにならない。聖句を持ち出したりして、『自殺は罪。神様はそんなことを喜ばない』などと、クリスチャンは言ってしまいがち。しかし、『死にたい』と思うほど悩んでいる人たちは、耐え難い苦痛の中に置かれ、この苦痛を終わらせるには死ぬしかない、と感じていることを知ることが大切だ」と語る。まず、その人の「苦痛」に耳を傾けることが必要だ。なぜその人は死ぬほど「苦痛」なのか、そこをじっくりと、本人が『伝わった、理解された』と納得するまで聴くことが必要なのだ。
「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます」(1コリント10:13)
この聖句の中で、宇田川氏は「最後の部分に注目してほしい」と話す。「逃れる道」を主は必ず用意してくださっているのだ。「自殺を考える人は、『苦痛を終わらせるには死ぬしかない』と思っている。しかし、主は必ず『逃れの道』を用意してくださっている。『逃げていいのだ』というメッセージを伝えてあげることが必要なのでは」と語る。よく話も聴かずに説教したり、「自殺は忍耐が足りない弱い人のすることだ」と決めつけ、ますます人を追い詰めたりするような言動こそ、キリスト者のやるべきことでない。また、孤立感を強め、帰属感のなさを抱える人に「平日の教会などを開放して、誰でも集える場所(居場所)などの提供をするのも一つの具体的な対策になるのでは」とも話した。
診察室に掲げられている十字架を見ながら、「『神様助けてください』と思う時はないか?」と尋ねると、「たくさんありますよ。特に孤立している患者さん、誰も助け手がいないと思われる患者さんのために、いつも祈っています」と宇田川氏。十字架を見上げながら、今日も「助け」を求める患者の診察に当たる。