国防軍の創設というのは現在の自衛隊の名称変更ではありません。尖閣諸島を守るとか、北朝鮮の脅威から日本を守る、そのためには国防軍が必要だと感じている人たちも確かに多いかもしれない。しかしながら、それらの国防は現在の自衛隊で十分可能なことであります。つまり、政府の解釈によって個別的自衛権は行使できるというふうにされておりますから、自衛のために必要最小限度の実力を行使するということは、私たち憲法研究者は、一切の戦力の不保持であって戦争をしないというふうに考えておりますので、そこは若干考え方が違うんですけれども、しかしこれまでの立場によりますと、自衛隊は合憲だというふうに言ってまいりましたので、しかしその場合の自衛隊が行うことは自衛のための必要最小限度の実力を行使することで、それは憲法とはかかわりなく国家の自衛権によって基礎づけられているということを述べておりました。しかし、問題は、ポイントは、草案では自衛の範囲を超えまして日本の国土を防衛するということは全く関係なく、同盟国を守るため、あるいは国際協力という名の下の戦争ができる国になるという点にポイントがあるというふうに思います。そして、国を守るためだという名目でさまざまな義務を国民は負わされる可能性があります。
少子高齢化でどうなっていくんでしょうか。今までは国防費は抑えられておりました。しかしその国防費を、中国に対抗するためには我々も軍事的に対抗しなければならないということで、国防費を賄うための増税や、あるいは年金などの社会保障費の削減も出てくるというふうに思われます。潜在的な抑止力、つまり、日本も核兵器を造るという可能性を残しておくために、それを名目で原子力発電もなくなるということはないと思います。武器輸出は重要な安全保障だという名目で日本も世界有数の死の商人の仲間入りをするということになります。そして、何よりもアメリカの敵国から日本も敵だとみなされて、攻撃やテロの標的になっていく。
ちょっと余談ですけれども、イラクに行った陸上自衛隊は、一人も殺さないで帰ってまいりました。航空自衛隊はアメリカ軍の武器を運んでいました。イラクの人たちが自衛隊に対して非常に歓迎をしてくれた。それがどういうふうに歓迎をしたかというと、アメリカ軍や、あるいはオーストラリア軍や、さまざまな軍隊とは違って、私たちを殺さない軍隊であったというふうにイラクの人たちは言っていた。そのようなことが終わってしまうのではないかというふうに思います。
そういうことで、この集団的自衛権については非常に大きな問題なんですけれども、レジュメのVII番目の項目を見ていただきたいんですけど、実は、先ほどの草案と同時に、2012年の七夕の日に自民党総務会が決定した国家安全保障基本法案という、そういう法案がすでにまとめられております。これは、憲法改正まで到達することができなくても、あるいは現在のような集団的自衛権の憲法解釈の内閣による変更が不十分であるという場合であっても、この法律を作ってしまえば憲法改正をしたのと同じことをしようということで構想されておりまして、当初、議員立法の予定でありましたけれども、政府立法としてこれを出したいと、石破(茂)さんはこの法律(案)を出すべきだというふうに自民党の中で頑張っておりますけれども、それを簡単に見てみたいと思います。
これは憲法を破壊して日本を軍事中心の国家に変えてしまう。見ていただきますと、資料をご覧になってください。そこに2条1項を見ていただきますと、こういうふうにそこで明らかなことは、軍事力の役割を際限なく拡大していくということです。3条を見ていただきますと、そこで挙げられていることは、「国民生活より軍事政策の優先」ということになります。時間の関係で触れることができませんでしたけれども、4・5・6・8・10・11・12条を見ていただきますと、例えば冒頭に申し上げました秘密保護法の制定の必要性とか、武器輸出三原則の放棄とか、そのようなことがうたわれておりまして、これは解釈改憲と憲法改正の行き着くまで、そこまで行くには大変だということで、このようなものが構想されているということであります。
最後に、一言申し上げたいと思います。7月1日の閣議決定ですね。この点にはさまざまな厳しい指摘がありまして、立憲主義の破壊だということも指摘されてまいりました。元内閣法制局長が、この変更は、これまでの論議の積み重ねは国民に対する説明であって、それを一内閣が、今まで言ってきたことは全部間違いでした、実はこういう意味でしたということになると、いったい法治主義とか法治国家とは何だということになって、また法規範としての9条の意味がほとんどなくなってしまうことを強調しております。
私自身は、政府による憲法解釈の変更によって、憲法規範の内実を空洞化することは許されないというふうに思います。立憲主義は憲法政治が憲法規範に基づくということを要請しています。集団的自衛権に関する政府解釈の変更は、実質的には9条の削除を意味しておりまして、立憲主義の否定になる。それを許さない世論と理論と運動の拡大が必要ではないかと思っておりますけれども。
最後に、慈恵医大の小沢(隆一)さんという方が、これは昨日来た本(小沢隆一「集団的自衛権の行使容認をめぐる最近の動向について―安保法制懇報告と政府『基本的方向性』を中心に」前出『集団的自衛権容認を批判する』所収)なんですけれども、そこで重要なことを言っておりましたので、そのことを申し上げたいと思います。
それは、この憲法解釈の変更によって私たちはもう何も闘えなくなってしまったのかという論点であります。
それは、小沢さんによりますと、憲法9条がここで破壊されてしまって、今回の閣議決定はですから断じて認めるわけにはいかないんですけれども、速やかな撤回を求める運動が求められますけれども、しかしこの閣議決定で私たちはルビコン川を超えられてしまったわけでもないというふうに小沢さんは言っています。それはどういうことかというと、政府はこの7月の閣議決定を行い、これから自衛隊法、周辺事態法、武力攻撃事態法、PKO協力法などのさまざまな法律改正による国内法の整備というものを予定しているわけであります。この秋からの国会ではやらない。なぜでしょうか?それは、統一地方選挙があって公明党が頑強に反対していて、これをこの秋にこういった法案を出すと、世論に大きな反対運動が起こってダメージが大きいので、来年の1月に召集される2015年の通常国会にこれらの法案を一括して提案して審議にかける方針が決定されているというふうに言われております。
したがいまして、私たちが、今日のテーマである「憲法9条で真の平和を実現していこう」ということですけども、それは、7月1日の閣議決定で終わってしまった、あるいは一段落したということではなくて、問題の始まりであります。これからもこういう問題に対する取り組みは長く続いていく。私たちは今後提案されてくるであろうさまざまな法律の改正や新しい法律の制定の動きに対して、これらを批判的に検討し阻止する運動に取り組むということで、その改憲の動きに待ったをかけることができるのではないかというふうに思います。長い間ご清聴ありがとうございました。
<レジュメ>
憲法9条で真の平和を実現しよう―安倍政権の進める戦争する国づくりに抗議して
稲正樹
I 特定秘密保護法の本質は何か
2013年10月28日に発表された「特定秘密保護法の制定に反対する刑事法研究者の声明」は、特定秘密保護法の憲法の平和主義原則違反に関して、以下の点を指摘していた(法案と法の表記の混在は原文のママ)(1)。
① 特定秘密保護法案は、戦争に備える軍事立法としての性格を色濃く有しており、この点を直視することが重要である。特定秘密保護法案は、軍事立法としての基本的性格をもち、九条改憲と直結し、憲法の平和主義を否定する。
② 安倍内閣は、特定秘密保護法案を国家安全保障基本法案、国家安全保障会議設置法案(日本版NSC)と不可分一体のものと位置づけ、一方で96条改憲を含む明文改憲の準備を進めつつ、それ以前にもこれら一連の法律の成立によって、9条の実質的な改憲を図ろうとしている。
③ 歴史的には軍事機密を中心とする国家秘密保護の強化は、軍事力の再編成の節目に登場してきている。特定秘密保護法の制定は、明文改憲であれ、解釈改憲であれ、9条改憲および集団的自衛権の行使の容認と不可分一体のものとして構想されている。政府は、これまで9条の解釈に関して集団的自衛権の行使は許されないとしてきた。この解釈を投げ捨て、集団的自衛権の行使を認めるという方向へ舵を切ろうとしている。これによって、自衛隊は、これまでの専守防衛の原則を投げ捨て、日本が攻撃されていない場合でも、海外に展開し米軍などと肩を並べて、戦闘を行う軍隊へと大きく変化することになる。日本は70年近く保ってきた平和国家から「戦争する国家」へと変貌しようとしている。
④ 特定秘密保護法案は、国家安全保障基本法案、国家安全保障会議設置法案とともに、9条の実質的な改憲を行うものであり、明文改憲を先取りするものである。それは外国での戦争を含む「戦争への備え」を行う者である。
⑤ 特定秘密保護法は、改憲の意図する「戦争のできる国家づくり」の過程を秘密のベールによって覆い隠し、戦争への国民の批判を封じ込め、国民の協力を取り付ける装置となる。同日に発表された「秘密保護法の制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明」でも、以下の点を指摘していた(2)。
① 軍事や防衛についての情報は国家の正当な秘密として必ずしも自明なものではなく、むしろこうした情報は憲法の平和主義原則の観点から厳しく吟味し、精査されなければならない。
② 本法案は、防衛に関する事項を別表で広く詳細に列記し、関連の特定有害活動やテロ防止活動に関する事項も含め、これらの情報を広く国民の目から遠ざけてしまう。秘密の指定は行政機関の一存で決められ、指定の妥当性や適正さを検証する仕組みは何も用意されていない。本法案により、現在の自衛隊法により指定されている「防衛秘密」はそのまま「特定秘密」に指定されたものと見做され、懲役も倍加されるという乱暴なやり方が取られている。本法案のような広範な防衛秘密保護の法制化は憲法の平和主義に反し、許されない。むしろ、防衛や安全保障に関する情報であっても、秘密を強めるのではなく、公開を広げることこそが現代民主国家の要請である。
③ 政府は、安全保障政策の司令塔の役割を担う日本版NSC(国家安全保障会議)の設置法案とともに本法案の制定を図ろうとしている。また自民党は先に「日本国憲法改正草案」を公表し、「国防軍」を創設するとともに、機密保持のための法律の制定をうたい、さらに、先に公表された「国家安全保障基本法案」では、集団的自衛権の行使を認めるとともに、秘密保護法の制定を示したが、本法案は、想定される武力の行使を見越して秘密保護をはかろうとするもので、憲法改正草案、国家安全保障基本法案と一体のものと見る必要がある。
II 秘密保護法の立法事実としてのGSOMIA
特定秘密保護法は米軍との関係強化のための軍事立法であり、国家安全保障会議を通じてアメリカと軍事情報を共有し、米軍と共同で展開する軍事行動を強化するために立法化された。集団的自衛権の行使と称して米軍の作戦に参戦していくためのものである(3)。特定秘密保護法の実質的な立法事実としてGSOMIA(ジーソミア)を指摘できる(4)GSOMIAとはアメリカが各国と結んでいる秘密軍事情報の保護に関する二国間協定の総称であり、アメリカから相手国に提供される秘密軍事情報と相手国からアメリカに提供される秘密軍事情報が保護の対象となる。
2005年10月29日に開催された日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、いわゆる米軍再編に関する報告書『日米同盟:未来のための変革と再編』が公表され、「情報共有及び情報協力の向上」という項目では「共有された秘密情報を保護するために必要な追加的措置をとる」ことが明記された。2007年5月1日に開催された2プラス2の共同発表文「同盟の変革:日米の安全保障及び防衛協力の進展」では、「軍事情報包括保護協定(GSOMIA)としても知られる、秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関する両政府間実質的合意。GSOMIAは、情報交換を円滑化し、情報ならびに防衛装備計画及び運用情報の共有に資する情報保全のための共通の基礎を確立するものである」とされた。こうして、2007年8月には、日米政府間に「秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」が結ばれ、「一方の締約国政府により他方の締約国政府に対し直接または間接に提供される秘密軍事情報は、この協定の規定が当該情報を受領する締約国政府の国内法令に合致する限り、当該規定に基づき保護され」(2条)、「秘密軍事情報を受領する締約国政府は、自国の国内法令に従って、秘密軍事情報について当該情報を提供する締約国政府により与えられている保護と実質的に同等の保護を与えるために適当な措置をとること」(6条b)になった。
III 「国際協調主義に基づく積極的平和主義」の欺瞞
外務省は「日本の安全保障政策」として、国家安全保障会議の設置(2013年12月4日)、国家安全保障戦略の策定(2013年12月17日)、防衛計画の大綱の見直し(2013年12月17日)、安全保障の法的基盤の再構築における懇談会、防衛装備品等の海外移転に関する基準(2013年12月27日)を「日本として、国際協調主義に基づく『積極的平和主義』の立場から、同盟国である米国を始めとする関係国と連携しながら、地域及び国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に寄与していかなければならないとの国家安全保障の基本理念・考えに基づくもの」と述べている(5)。これらは戦争をすすめる国づくりの政策群にほかならない項目であるが、「国際協調主義に基づく『積極的平和主義』」の具体例として掲げられている。ジョージ・オーウェルの『1984年』は、「戦争は平和なり」(War is Peace)という党のスローガンが猛威を振るい、半永久的に戦争を続けるための政府機関が平和省と呼ばれていることを指摘している。あのジョージ・オーウェルの『1984年』の世界が、2014年の日本国に登場している。
IV 改憲問題との関連で―明文改憲による方法
特定秘密保護法が集団的自衛権解禁の露払いとして立法化され、その究極の目標が明文改憲による日本国憲法の廃棄にあることは自明であるが、憲法改正手続に基づく日本国憲法の廃棄による新憲法の制定への道程は、依然として、日本の支配層にとってはとてつもない難題として意識されているのではないだろうか(6)。そして安倍政権を始めとする日本の支配層が明文改憲の先に構想している日本の将来像は、日米安保体制の規定するアメリカの従属国家化の中で、日本の軍事大国化を極限まで追求させるプチ帝国主義国家の野望ではないだろうか。(7)
V 自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月)の問題点
「個人の人権を守るために国家を縛る憲法」から「国民を支配する道具としての憲法」へ(伊藤真『憲法は誰のもの?自民党改憲案の検証』(岩波ブックレットNo.878、2013年による)。
① 立憲主義(=すべての人々を個人として尊重するために憲法を定め、それを最高法規として国家権力を制限し、人権保障をはかる思想)の否定・放棄。
イ. 前文「草案では、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。/ 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。/ 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。/ 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。/ 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」
ロ. 憲法尊重擁護義務、草案の102条(憲法尊重擁護義務)「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」
ハ. 発議要件の緩和
ニ. 憲法を制定するのは誰か
ホ. 天賦人権思想の誤解
ヘ. 国民主権と天皇制
② 非暴力平和主義から「戦争ができる国」へ
イ.「安全保障」の全体像 平和的生存権、「人間の安全保障」、9条の戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認:積極的非暴力平和主義の立場=国民を恐怖に陥れ、命を脅かすような「軍事力による防衛」ではなく、世界の紛争地域から恐怖と欠乏を根絶するために非暴力の手段によって積極的な活動をすることを通じて他国から信頼され、攻められない国を作る思想。→草案は、第2章の章題を「戦争の放棄」から「安全保障」に変え、その9条の2において「国防軍」という軍隊を創設し、交戦権否認条項を削除した。平和主義3原則のうち、戦力の不保持、交戦権の否認を完全に放棄している。残る「戦争の放棄」は、たしかに草案9条1項が定めるものの、2項で「自衛権」の発動を無制限に認めている。この「自衛権」には個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も含まれる。草案9条の2第3項には、国防軍の活動として、国際協力活動が明記された。こうして、同盟維持、国際協力の名目で「戦争ができる国」に転換している。さらに草案は、前文で平和的生存権を削除している。それは、国防軍創設と相まって、安全保障の概念が「人間の安全保障」から「国家の安全保障」に退化したことを意味している。もちろん、現行憲法が掲げた積極的非暴力平和主義も消え去っている。
ロ. 集団的自衛権を認めるのか。
ハ. 国防軍は自衛隊の名称変更ではない。
ニ. 法律任せの民主的統制
ホ. 国防軍の任務拡大
へ. 領土・資源を確保する方法
ト. 国家緊急権
チ. まとめ
③ 人権の縮小、義務の拡大
イ. 弱められる人権保障
・人権の上位にある「公益及び公の秩序」:(国民の責務)「・・・自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。」
・「個」のない「人」の尊重「すべて国民は、個人として尊重される」→「全て国民は、人として尊重される」
・繰り返される「公益及び公の秩序」
・バターより大砲を
ロ. 義務を課すことに前のめり
ハ. 権利拡大には後ろ向き
・プライバシー権
・知る権利
・環境権
・犯罪被害者救済
ニ. 人権各論の問題点
・外国人参政権
・政教分離原則の緩和
・公務員の労働基本権
・格差拡大の自由競争?
VI 96条改憲先行戦略の挫折
2013年夏の参議院選挙前には、9条改憲を先行させるのではなく、96条の憲法改正手続きを緩和して、国会の過半数の同意で発議できるようにしたうえで9条改憲に踏み込むという二段階戦略が安倍政権によって採用されていた。しかし、その本意は国民世論によっていとも簡単に見抜かれてしまい、96条の改憲先行戦略はあっけなく挫折を経験した。
VII 立法改憲の模索
2012年7月に自民党総務会が決定した国家安全保障基本法案(8)は、憲法改正手続きを経ることなく、憲法自体を破壊し、日本を軍事中心の国家に変えてしまう、「憲法破壊基本法」に他ならない(9)。
法案の2条(安全保障の目的、基本方針)1項は、「安全保障の目的は、外部からの軍事的または非軍事的手段による直接または間接の侵害その他あらゆる脅威に対し、防衛、外交、経済その他の諸施策を総合して、これを未然に防止しまたは排除することにより、自由と民主主義を貴重とする我が国の独立と平和を守り、国益を確保することにある」として、軍事力の役割を際限なく拡大する。2項では「四 国際連合憲章に定められた自衛権の行使については、必要最小限度とすること」と規定して、集団的自衛権の行使を認めている。
第3条(国及び地方公共団体の責務)2項は、「国は、教育、科学技術、建設、運輸、通信その他内政の各分野において、安全保障上必要な配慮を払わなければならない」として、国民生活より軍事政策の優先を意図している。3項では、「国は、我が国の平和と安全を確保する上で必要な秘密が適切に保護されるよう、法律上・制度上必要な措置を講ずる」と、特定秘密保護法の法制化を明示している。4項では、「地方公共団体は、国及び他の地方公共団体その他の機関と相互に協力し、安全保障に関する施策に監視、必要な措置を実施する責務を負う」として、国の軍事政策に自治体を完全に組み込もうとしている。
第4条(国民の責務)「国民は、国の安全保障施策に協力し、我が国の安全保障の確保に寄与し、もって平和で安定した国際社会の実現に努めるものとする」は、防衛施策への「協力努力義務」を国民の責務とする。
第5条(法制上の措置等)「政府は、本法に定める施策を総合的に実施するために必要な法制上及び財政上の措置を講じなければならない」は、違憲立法を制定し、軍事力を国家の中心にすえた新しい法体系の構築を狙っている。
第6条(安全保障基本計画)「政府は、安全保障に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、国の安全保障に関する基本的な計画を定めなければならない」に関しては、国家安全保障会議が既に設置された。
第8条(自衛隊)1項「外部からの軍事的手段による直接または間接の侵害その他の脅威に対し我が国を防衛するため、陸上・海上・航空自衛隊を保有する」と三項「自衛隊は、第一項に規定するもののほか、必要に応じ公共の秩序の維持にあたるとともに、同項の任務の遂行に支障を生じない限度において別に法律で定めるところにより自衛隊が実施することとされる任務を行う」によって、自衛隊の活動範囲が無限定に拡大される。
第10条(国際連合憲章に定められた自衛権の行使)「第2条第2項第四号の基本方針に基づき、我が国が自衛権を行使する場合には、以下の事項を遵守しなければならない。—我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること」は、全面的に集団的自衛権の行使を認める規定である。
第11条(国際連合憲章上定められた安全保障措置等への参加)「我が国が国際連合憲章上定められ、又は国際連合安全保障理事会で決議された等の、各種の安全保障措置等に参加する場合には、以下の事項に留意しなければならない」は、アメリカの要請による自衛隊の戦地派兵を可能にしている。
第12条(武器の輸出入等)一項「国は、我が国及び国際社会の平和と安全を確保するとの観点から、防衛に資する産業基盤の保持及び育成につき配慮する」と、二項「武器及びその技術等の輸出入は、我が国及び国際社会の平和と安全を確保するとの目的に資するよう行われなければならない。特に武器及びその技術等の輸出に当たっては、国は、国際紛争等を助長することのないよう十分に配慮しなければならない」は、軍需産業の保護育成を明記し、武器輸出三原則の放棄を求めている。後者は武器輸出をしてこなかった日本のソフトパワーの断念の道である。
VIII 現状と今後の展望
この5月の安保法制懇の報告書を受けて、7月には閣議決定による集団的自衛権の憲法解釈の変更がなされた。学説からは、「集団的自衛権の中核部分が憲法により否定されているとの解釈は、・・・少なくとも半世紀以上、政府が一貫して繰り返してきたものなのである。・・・集団的自衛権という、日本という国家の命運に関する、憲法上最も重要であると言ってもいい論点で、半世紀以上維持してきた解釈を、・・・一時の政権が変更することは、明白に重大な危機が差し迫っている例外状況でもない限り、とても正当化することはできない」ことが指摘されている(10)。元内閣法制局長官も、集団的自衛権に関する政府解釈の変更は、これまでの国会での論議の積み重ねは国民に対する説明であり、それを一内閣が今まで言ってきたことは全部間違いだった、実はこういう意味だということになると、一体法治主義とか法治国家とは何だと言うことになる。また法規範としての9条の意味がほとんどなくなってしまうことを強調している(11)。
政府による憲法解釈の変更によって、憲法規範の内実を空洞化することは許されない。立憲主義は憲法政治が憲法規範に基づくことを要請している。集団的自衛権に関する政府解釈の変更は、実質的には9条の削除を意味し(12)、立憲主義の否定となる。それを許さない世論と理論と運動の拡大が急務であり、それはまた、特定秘密保護法の廃止を求める世論形成と運動の成功にもつながっていく。
・ 集団的自衛権の行使、安保体制下での自衛権の役割増大→「殺し殺される軍隊」への変貌(小沢隆一の問題提起)
・ そのことの持つ意味とは?
①「殺し殺される軍隊」になった自衛隊は、どのような人間の、いかなる組織に?
② そのような自衛隊に出動を命ずる政治機構、官僚組織はどのような組織に?
③ 自衛隊員の家族、関係者は、どのような思いで隊員を送り出すか?
④ 自衛隊と「殺し殺される」戦闘に巻き込まれた他国の兵士や民間人の思いは如何?
⑤ 自衛隊が「殺し殺される軍隊」となり凱旋した際、国民はどう迎えるのか?
⑥ ⑤について諸外国とその人々は、日本に対してどのようなイメージを持つか?
⑦ かくして、日本と他国との関係はどのようなものとなるか?
<注>
(1)法律時報85巻12号、2013年、145頁。
(2)法律時報85巻13号、2013年、395頁。
(3)自由法曹団・秘密保護法プロジェクト(編)『これが秘密保護法だ—全条文徹底批判』合同出版、2014年、11―12頁。
(4)新屋達之「特定秘密保護法案」民主主義科学者協会法律部会 2013年度学術総会研究報告、2013年11月30日神奈川大学。青井未帆「特定秘密保護法案・考」法律時報85巻13号、2013年、1頁。
(5)http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/page22_000407.html
(6)「安倍政権は、改憲は国民的な容易ならざる事業であり、65年間実現したことがないこと、国会の中での大規模な連合と国民の過半数の合意を必要とする大事業であることを十分自覚していると思われる」(渡辺治『安倍政権と日本政治の新段階―新自由主義・軍事大国化・改憲にどう対応するか』旬報社、2013年、118頁)。
(7)「アメリカの属国であり、かつ大国らしく振る舞うことのできる“衛星プチ(ポチ?)帝国”」(斎藤貴男『安倍改憲政権の正体』岩波書店、2013年、7頁。
(8)https://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-137.pdf
(9)川口創「国家安全保障基本法は何を狙うか」世界850号、2013年、70頁。本文の指摘も川口弁護士による。
(10)南野森「集団的自衛権と内閣法制局―禁じ手を用いすぎではないか」世界848号、2013、20頁。
(11)「集団的自衛権の行使はなぜ許されないのか―阪田雅裕・元内閣法制局長官インタビュー」浦田一郎・前田哲男・半田滋『ハンドブック集団的自衛権』岩波書店、2013年、48頁以下所収。
(12)「解釈の変更による集団的自衛権行使の承認は閣議決定の簡易な手続きによる改憲や安保体制の変更を意味する」(浦田一郎『自衛力論の論理と歴史―憲法解釈と憲法改正のあいだ』日本評論社、2012年、192頁)。
■「2014年 平和を求める8・15集会」講演内容・レジュメ:(1)(2)
■「2014年 平和を求める8・15集会」講演記事