結婚後も東淀川へは通っていたが、今まで一人分でよかったのに、倍の交通費が必要となった。また牧師の結婚が、礼拝に来ていた若い女性たちを遠ざける結果にもなってしまった。加えて碓井君の事故や、学生たちの進学や就職、転居なども重なり、集まる人数がほんとに少なくなってきた。集会所も定期的に借りれなくなり、公園を使ったり、場所を変えたりしながら、何とか集会を続けていた。
ある夜のこと、クート師の自宅に呼ばれ、富雄キリスト教会に行くようにと言われた。私にはまったく予期しないことばだった。驚く私にクート師は、聖霊がそのように示され、御旨に従えば祝福があると、懇々と諭すように話してくれた。それまで富雄は、喜島牧師が責任を持って伝道していた地域であり、そのことも気がかりだったが、すでに喜島牧師も了解しておられるという。私はその導きに従うことにした。
しばらくは東淀川とのかけもちが続いたが、ある夜遅くまで、淀川の堤防で一人祈りに祈り、涙とともに開拓伝道四年目の失敗を認めて、東淀川から撤退することにした。
私の開拓伝道は、挫折と敗北に終わってしまったのである。しかし、どんな挫折も失敗をも益として、新しい勇気と希望を与えてくださる主によって、深き淵より立ち上がり、牧師として仕えることが許されている。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:3-5)
今でも新大阪へ行く度に、あの日のことを思い出し、再び何らかの方法で福音を伝えたく思っている。
富雄で伝道することが決まり、一九六七年十二月に生駒から引っ越すことにした。富雄の家を調べもせず移転したので、到着して驚いた。窓ガラスは割れ、畳はすり切れている。台所の壁はぼやを出して、真っ黒にすすけていた。冬場だったので、すきま風には悩まされたが、まだナメクジやゴキブリがいなくて助かった。暖かくなると、狭い台所から、家内の悲鳴がよく聞こえた。私は虫も殺さぬいい男で、虫を見ると逃げ回っていた。家内がずいぶん鍛えられ、たくましくなったことも感謝である。
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榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。
このコラムで紹介する著書『天の虫けら』(マルコーシュ・パブリケーション)は、98年に出版された同師の自叙伝。高校生で洗礼を受けてから世界宣教に至るまでの、自身の信仰の歩みを振り返る。