全体の流れの確認の助け3点
[1]主題と構造
☆主題
神の恵みにより、奴隷の状態から解き放たれて自由な民、聖なる民とされたイスラエル人が、現実にいかに生きるか(参照・出エジプト記19章1~6節)を示しています。
☆構造
Ⅰ.礼拝のために 1~10章
(1)「犠牲」に関する諸規定 1~7章
(2)祭司アロンとその子たちの聖別 8~10章
土地所有禁止、エジプトの祭司階級が大土地所有者なのと全く逆です。
Ⅱ.礼拝者の生き方 11~27章
(1)汚れの除去 11~15章
(2)「あがないの日」の定め 16章
(3)聖潔の保持 17~22章
(a)食物について 17章
(b)結婚関係について 18章
(c)生活全般について 19章
(d)特に注意すべき点(厳しい刑罰を伴うもの) 20章
(e)祭司について 21、22章
(4)時の聖別 23~25章
(a)安息日、様々の祭 23章
(b)日ごとの礼拝 24章
(c)安息の年とヨベルの年 25章
(5)祝福とのろい 26章
(6)誓願のささげ物 27章
☆細部に至る諸規定の根底を流れている、徹底的に神の恵みに基づく事実を大切に。
「そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、『主の山の上には備えがある』と言い伝えられている」(創世記22章14節)
「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である」(レビ記17章11節)
[2]出エジプト記との深い結び付き
レビ記1章1節(文字通りには「そして彼(主)は呼んだ」)は、出エジプト記とレビ記の深い結び付きを明示。
出エジプト記の後半を通し描かれ、最後の40章で頂点に達している「会見の幕屋」の建築。その会見の幕屋から、今、主なる神は、モーセを呼び寄せておられる。それ故会見の幕屋の目的がレビ記において具体的に成就されていると見なすことができる。レビ記と切り離しては、出エジプト記は十分理解できない。
またレビ記の理解は、その背景として出エジプト記に注目しなければ、不可能。レビ記が提示している犠牲の儀式や礼拝の生活は、出エジプト記が証言するイスラエルの民の奴隷状態からの解き放ちの事実、会見の幕屋建築の事実に根ざし初めて可能なのであり、その意味も理解できる。
出エジプト記とレビ記の全体的流れを大きく見て、下記のように図式化できる。
出エジプト記=徹頭徹尾神の恵み
(A)出エジプトの出来事とシナイ契約(出エジプト記1~24章)
(B)会見の幕屋の建築(出エジプト記25~40章)
レビ記=徹頭徹尾神の恵み
(B)会見の幕屋での礼拝(レビ記1~10章)
(A)神の救い、シナイ契約に基づく礼拝の生活(レビ記11~27章)
上記の流れを見ると、出エジプトの事実とシナイ契約という幅広い神の救いの歴史が、会見の幕屋の一点に焦点を絞られている面と、焦点を絞られた幕屋での礼拝が、再びイスラエルの日常生活における礼拝の生活へと豊かに展開して行く様を見る。
[3]時の聖別について(23~25章、特に25章)
この礼拝の生活のリズムを、イスラエルの民は歴史的状況の中で経験。循環(1~4)と一直線(5)の両面。
循環
(1)安息日(一週間単位)
(2)様々の祭(一年一回の単位)
(3)安息の年(七年単位)
(4)ヨベルの年(五十年単位) 生涯に一度、本来の姿に戻る。
一直線
(5)「主の恵みの年」(イザヤ61章2節、ルカ4章9節、全歴史上唯一の点、天地万物の創造から、主イエスの誕生、十字架の死、復活を中心とし、新天新地(ヨハネ黙示録21章1節)を目指す一直線)
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、『哀歌講解説教 哀歌をともに』、『ルカの福音書 味読身読の手引き①』以上クリスチャントゥデイ、など。
■外部リンク:【ブログ】宮村武夫牧師「喜びカタツムリの歩み」