レビ記7章
★「人生を導き教会を生かすレビ記通読の手引き」を続けている中で、ある方から、「苦手意識大勢のレビ記をぜひともかみ砕いちゃってください」とのコメントを頂きました。そこで、私なりに、「はいS兄、S兄一人のために語る思いで書き進めます。お祈り下さい」と応答しました。ささやかでも実践します。
(1)罪過のためのいけにえ(1~10節)
5、6章(5章14節~6章7節)では、和解・交わりの成立を強調。それに対してこの箇所では、祭司の役割を詳しく記しています。そうです。一つの事柄を、異なる視点や目的に従い描いているのです。
このように複数の視点から見ることにより、対象の実態をより正しく、深く、豊かに受けとめ得る恵みを覚えます。
(2)和解のいけにえ(11~21節)
和解のいけにえの特徴は、脂肪と血が主なる神のものとして区別されている点です。神は神とはっきりと明確にされ、主なる神と民との和解の成立が注意深くなされて行くのです。
①感謝のいけにえの場合、その日のうちに食べる(11~15節)
参照、申命記12章11、12節。
「あなたがたの神、主が、御名を住まわせるために選ぶ場所へ、私があなたがたに命じるすべての物を持って行かなければならない。あなたがたの全焼のいけにえとそのほかのいけにえ、十分の一と、あなたがたの奉納物、それにあなたがたが主に誓う最良の誓願のささげ物とである。あなたがたは、息子、娘、男奴隷、女奴隷とともに、あなたがたの神、主の前で喜び楽しみなさい。また、あなたがたの町囲みのうちにいるレビ人とも、そうしなさい。レビ人にはあなたがたにあるような相続地の割り当てがないからである」
和解の喜びは、最も親しい家族だけでなく、さらには立場の違う方々と、より多くの人々とのともなる喜びへと波紋のように広がるのです。参照、マタイ9章1~13節。和解の喜び・祭壇が感謝の喜び・食卓へ。祭壇と食卓の密接な関係に注目。私たちの間でも、主日礼拝と日常生活の二本立てでなく、礼拝しつつ生活、生活のただ中での礼拝、礼拝の生活の実践へ。
②誓願あるいは進んでささげる(自発)ささげ物(16~18節)
翌日は食べても良いが、3日目以後は食べてはいけない。
③汚れについて繰り返し言及、汚れに対する態度(19~21節)
(3)22~27節
イスラエル全体が血と脂肪を食べてはならない。脂肪は主なる神に属すると。死んだ獣や殺された獣は犠牲にしないから、その脂肪は使っても良い。しかし食べてはならないと、原則は貫かれます。
(4)28~36節
民の献げる和解のいけにえのうち、祭司の受ける分の定め。祭司は、これで生活が支えられます。
(5)全体の要約(37、38節)
いけにえのささげ方や生活の仕方については、礼拝をささげる対象である、主なる神ご自身の言い分をどのように受け止め従うかが大切です。礼拝の基本は、礼拝する私たちの都合や気分ではなく、主なる神に聴き従う、聴従の道です。
礼拝とは、主なる神に聴くところから始まり、全生活での応答へと展開・礼拝の生活。参照、Ⅱコリント5章14~21節。キリストへの愛は、キリストのために生きる献身へ。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、『哀歌講解説教 哀歌をともに』、『ルカの福音書 味読身読の手引き①』以上クリスチャントゥデイ、など。
■外部リンク:【ブログ】宮村武夫牧師「喜びカタツムリの歩み」