レビ記6章
(1)区切りと大きな流れの再確認
①区切り
新しい段階を示す定形、主のことばへの中心性。
「イスラエル人に告げて言え」(1章2節、参照・7章23、29節)。
↓
「アロンとその子らに命じて言え」(6章9節)
祭司への指示(6章8節~7章36節)。
☆さらに定形、「次のとおり」、9、14、25節で繰り返し。神経を行き渡らせ、時間と労を惜しまず描いていると受け止める。
②大きな流れの再確認
★1-5章
全焼のいけにえ(1章)
穀物のささげ物(2章)
和解のいけにえ(3章)
罪のためのいけにえ(4章1節~5章13節)
罪過のいけにえ(5章14節~6章7節)
★6,7章 施行細則
全焼のいけにえ(6章8節~13節)
穀物のささげ物(6章14~18節)
大祭司任職のささげ物(6章19~23節)
罪のためのいけにえ(6章24~30節)
罪過のいけにえ(7章1~10節)
和解のいけにえ(7章11~21節)
脂肪と血(7章22~27節)
祭司の分け前(7章28~36節)
1~5章は、民一般に対してとすれば、6、7章は、民の一員であると同時に、特別な責任を委ねられている祭司たちに。その両方とも大切。
(2)ささげ物には二つの側面
一つは、ささげ物を受ける神ご自身について。もう一つは、ささげる人間の側について。
5章までは、神ご自身に、6章においては人間の側、特に民の代表・祭司に焦点が合わされている。
(3)民の代表としての祭司に焦点
いけにえそのものに価値があるのでない。しかし祭司が献げるとき、いけにえが意味を持つ。祭司の役割・役目が際立つ。
しかし祭司・レビ系祭司の限界も明らか。大祭司任職のささげ物(6章19~23節)を必要とすることが明らかにしているように、祭司も執り成しを必要としている。ヘブル人への手紙が明示する、大祭司キリストへの備え。
(4)全焼のいけにえ(6章8~13節)
特に強調されているのは、祭壇の火、キリスト信仰の基本。
「全焼のいけにえのおしえは次のとおりである。全焼のいけにえそのものは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない」(6章9節)
「火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。消してはならない」(6章13節)
ここでも、出エジプト記とレビ記の密接な関係。参照・出エジプト記29章33~42節、特に29章42節。
「これは、主の前、会見の天幕の入口で、あなたがたが代々にわたって、絶やすことのない全焼のいけにえである。その所でわたしはあなたがたに会い、その所であなたと語る」
出エジプト記の場合もレビ記の場合も、同じ一点を指し示している。神ご自身が備えるいけにえを通して、神が民と出会い、神ご自身が民に語られる。この恵みの事実を祭壇の火は指示している。消してはならない。
大祭司イエス・キリストがご自身を犠牲にして開かれた恵みの道、キリスト信仰の火を消してはならい。継続、さらに小学生、中学生、幼児への継承の応答。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、『哀歌講解説教 哀歌をともに』、『ルカの福音書 味読身読の手引き①』以上クリスチャントゥデイ、など。
■外部リンク:【ブログ】宮村武夫牧師「喜びカタツムリの歩み」