レビ記4章
(1)レビ記4章の主題と構造・流れ
①4章の主題
「罪のためのいけにえ」(3節)
②全体の構造・流れ
誰が罪を犯したかが中心となり区切り。
イ.2節、序論、一般的なことを記す
ロ.3~12節、祭司が罪を犯した場合
ハ.13~21節、イスラエルの全会衆が罪を犯した場合
二.22~26節、上に立つ者が罪を犯した場合
ホ.27~35節、一般の人が罪を犯した場合
罪を犯した人がどのような人かで、罪のいけにえのささげ方が違う。祭司の場合と全イスラエルの場合は、幾つかの共通点もある。ささげる動物は雄牛、傷のないものであることなどは、どの場合にも求められる原則。
(2)特に幾つかの節
①4節
「その雄牛を会見の天幕の入口の所、主の前に連れて来て、その雄牛の頭の上に手を置き、主の前にその雄牛をほふりなさい」。手を置く。ささげる者から雄牛への罪の転嫁。
②5~7節
罪のためのいけにえの場合、血が特に重要視され、繰り返し「血」を強調。血による以外は罪の赦しがない。
「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです」(ヘブル9章22節)
③8節
「その罪のためのいけにえの雄牛の脂肪全部を、それから取り除かなければならない。すなわち、内臓をおおう脂肪と、内臓についている脂肪全部」。脂肪については、和解のいけにえ(3章)の場合と同じ。
(3)宿営の外
11、12節に見るように、血と脂肪以外のものは、宿営の外の灰捨て場に持って行く。主イエスも宿営の外で苦しめられる(ヘブル13章10~13節)。その意味の重要さは、ヘブル人の味わいにおいて注視したい。この点にもレビ記とヘブル人への手紙の深い関係を見る。
(4)罪について
①罪と意識
「あやまって」(2節)過失←→意図的なもの
②罪の広がり
環境、時代、無知との関係で、個人ばかりでなく、多くの人々が罪を犯している場合。
③罪の影響
誰が犯しても、罪は罪であるが、その人の置かれている立場により、その影響力は違う(参照・ヤコブ3章1節)。指導者の罪は直視され、その責任が明確に問われる。
(5)贖いと赦しの宣言
20、26、31、35節で繰り返し言及。この点を深く掘り下げているのが、ヘブル9章と10章。その中心点は、主イエス・キリストの十字架の血こそ、完全な唯一の犠牲・贖い。動物のそれは、ただ一度だけの主イエス・キリストの贖いを指し示している。
(6)レビ記4章の中心的メッセージ
罪はそのまま放置されてはいけない。罪は影響力を持つ。罪は聖霊ご自身を悲しませる。告白され処置されるべきことを教えている(エペソ4章30節)。罪を告白し、主イエス・キリストの血による赦しを受け進む。
「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」(Ⅰヨハネ1章9節)
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。宇都宮キリスト集会牧師、沖縄名護チャペル協力宣教師。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、『哀歌講解説教 哀歌をともに』、『ルカの福音書 味読身読の手引き①』以上クリスチャントゥデイ、など。
■ 外部リンク:【ブログ】宮村武夫牧師「喜びカタツムリの歩み」