ストローン氏は、「我々の性や身体の構造の中に神のご計画が組み込まれている。そのご計画を尊重すれば、神の祝福を受け取ることが出来る。この研究は私の聖書的な男女の役割に関する考え方と一致する。汗をかいて仕事から帰ってくる男性の方が、1日中家で子どもの世話をしていた男性よりも、妻に魅力的に映る」と言う。
ストローン氏は、神が、男性を家の外で働くよう造られ、女性を家の中で働くよう造られたと指摘する。「アダムは激しい労働をし、家族を養うように造られた。男性の仕事には基本的に支配的な要素がある。同様、女性の役割は、体を見れば分かる。女性には子宮があり、子どもが与えられればそれを育てるように造られている。一方、男性は身体にそのような要素を持っていない。大学などで新しい議論を戦わせているジェンダー修正主義者が、男女間に本質的な差がないという考えを吹き込んでいるが、この研究は彼らが間違っていることを証明している。男性が怠けるのをやめて立ち上がり、困難なことに立ち向かおうとする時、特にそれがイエス・キリストとその福音に栄光を与えようとする行動であれば、女性は好反応を示す」と説明する。
一方、ハダド氏は、聖書は男女に、家庭や教会、社会での権限を分かち合うよう求めていると考える。より良い性生活を送るためではなく、神を崇めるためだという。「性生活が、良い結婚生活の一番良い指標なのでしょうか」と疑問を投げかける。
ハダド氏は、「昔、クリスチャンの夫婦にとって、結婚の神聖さの指標として自己満足度を使うことは考えられなかったことです。『私たちは、良い性生活をしているか?』と問うことはなかったのです。人生においても寝室でも、自己犠牲を払うように教えられていたのですから。ポルノ産業は、キリストが一番良い模範である自己犠牲の行動を表そうと、真剣な努力をする豊かな夫婦関係の深さを都合よく無視しています」と主張する。
同氏は、ホーリーネス運動の発起人の1人で、伝道師、執筆家でもあるフィービー・パーマー氏を称賛している。「パーマー氏は、当時の社会的・霊的なリーダーで革新者でした。彼女の夫は優れた医師でしたが、彼女の講演のスケジュールに合わせて彼女を支えました。2人の結婚生活はニューヨーク市内で最高のものと称えられていました。素晴らしい性生活があったからではなく、互いに仕える結婚生活だったからです。2人の結婚生活の素晴らしさは、役割とは全く関係なく、キリストに従うことから来ていました」と説明する。
ハダド氏はまた、神の元々の計画には男性の女性に対する支配はなく、人類が罪に落ちた結果現れたものなので、キリストの救いの御業により、ぬぐい去られたと主張する。
ハダド氏は、「女性が夫を求めること、また男性が妻を支配してしまうことは、死や苦労が現れたのと同じ様に、罪に落ちた結果です。それには対抗すべきであって、そのまま受け入れるべきものではありません。初教会の神学論を確立した使徒パウロは、ずば抜けた天才でした。パウロは、すでにあった男性支配の構造を覆すことを十分念頭に置いて、『夫にも妻に対する義務がある』と強調したのです。キリストが教会の頭であるように、夫は家の頭であるが、ローマ帝国の考え方とは違い、この頭(キリスト)はご自身を犠牲にするのです。新約聖書には、リーダーとして称賛された2組の夫婦がいました。ローマ書16章7節に出てくる、奴隷であり使徒でもあるアンドロニコとユニアス、そしてプリスカとアキラです。2組は夫婦の役割の中で権限を分けあったのです」と説明する。
「我々のアイデンティティーは、我々の文化、民族性、性の中にあるのではなく、キリストに結ばれていることにあるのです」と結んでいる。(続く:「(3)家庭の霊的リーダーシップは誰が持つべきか?」へ)