福音の宣教を続けた
使徒の働き14章1節~7節
[1]序
今回は、使徒の働き14章1節から7節のパウロやバルナバがイコニオムで福音宣教に従事する記事に進みます。
イコニオム宣教の開始は、ピシデヤのアンテオケから追い出された出来事と直接関係します(参照13章50節)。パウロたちはアンテオケを後にしたのですが、アンテオケの周辺近くの諸地方には行けなかったようです。二人に対する追放令は、アンテオケばかりでなく、周辺諸都市までその効果が及ぶ厳しいものであったと推察されます。彼らはアンテオケから130キロも離れたイコニオムまで進み、そこで福音を伝えたのです。福音宣教に対する妨害がどれほど激しくとも、パウロたちは心を燃やしなお福音を宣べ伝え進みます。
イコニオム宣教の記事は、パウロたちが福音を宣べ伝えた多くの町でも起こった四つのことを含んでいます。
1. 福音を宣べ伝える。
2. ユダヤ人も異邦人も共によい知らせを信じた。
3. ユダヤ人のある人々は福音を受け入れようとしない。
4. 彼らは市当局や市民団体に圧力をかけ、二人を追い出そうと計る。
このようにイコニオムでの福音宣教の結果、「町の人々は二派に分かれ、ある者はユダヤ人の側につき、ある者は使徒たちの側についた」(4節)のです。ここには福音に敵対する勢力の動きとその圧迫の下でも進む福音の広がりを見ます。
[2]福音に敵対する勢力の動き
(1)信じようとしないユダヤ人たち
14章1節では、イコニオムでの宣教により、「ユダヤ人もギリシャ人も大ぜいの人々が信仰に入った」と喜ばしい結果を報じています。
ところがその直後、「しかし、信じようとしないユダヤ人たちは」(2節)とあります(参照ビシデヤのアンテオケの場合、13章42~44節と45節の鋭い対比)。イコニオムでも、ユダヤ人もギリシャ人も大ぜいの人々が信仰に入りました。しかし全ての人々がそうしたのではないのです。その理由は十分説明できなくとも、事実として信じようとしない人々も起こり、福音の広がりに反対します。
(2)敵対の広がり
「異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせ」(2節)。「信じようとしないユダヤ人たちは」、自分たちが福音に敵対するだけでなく、異邦人たちも巻き込もうとします。
(3)敵対行為も激化
「使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企てた」(5節)。福音に敵対する人々の数が増し加わり、敵対行為も激化。
[3]福音の前進
福音に敵対する力が増し加わる現実の中で、福音の宣教は進展。
(1)14章1節「イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂に入り、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人々が信仰に入った」
ピシデヤのアンテオケを追われたパウロとバルナバは、130キロの道をも遠しとせずイコニオムにたどり着き、「ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂に入り、話を」したのです。「話」とは、主イエスにある救いの話・福音の宣教です。その結果、「ユダヤ人もギリシャ人も大ぜいの人々が信仰に入った」のです。
13章46節「そこでパウロとバルナバは、はっきりとこう宣言した。『神のことばは、まずあなたがたに語られなければならなかったのです。しかし、あなたがたはそれを拒んで、自分自身を永遠のいのちにふさわしくない者と決めたのです。見なさい。私たちは、これからは異邦人のほうへ向かいます』」をもってユダヤ人は神から捨てられ、パウロとバルナバはユダヤ人への宣教を断念、異邦人への宣教に専念したと見ることはできないのです。アンテオケの経験は経験として、イコニオムでも、もう一度ユダヤ人に福音を宣べ伝えています。アンテオケであのようだったのだから、イコニオムでもどうせとは考えない、ひたむきな態度を通し福音は前進します。
(2)14章3節
「信じようとしないユダヤ人たちは」、福音宣教を妨害しようと意図しました(2節)。しかしすぐには思い通りにはならず、パウロとバルナバは福音を宣べ伝える自由をなお与えられていました。この嵐の前の静けさの期間をパウロたちは無駄にせず、「主によって大胆に語った」のです。時を逃さず忠実に働く彼らを通し3節「それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明をされた」に見る恵み。
(3)14章6節
イコニオムでも事態はやがて深刻になり、「使徒たちをはずかしめて、石打ちにしようと企て」がなされます。パウロたちはその動きを的確に見抜き、「ルカオニヤの町であるルステラとテルベ、およびその付近の地方に難を避け、そこで福音の宣教を続けた」のです。困難に直面しても、次に開かれる場所で福音宣教を継続。
[4]結び
イコニオムにおける記事から、三つの点を特に注意。
1. 福音が宣べ伝えられるとき、すべての人々が信じたわけではない。
2. レッテルを簡単に張ってはいけない。
3. 福音の宣教の継続。
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宮村武夫(みやむら・たけお)
1939年東京生まれ。日本クリスチャン・カレッジ、ゴードン神学院、ハーバード大学(新約聖書学)、上智大学神学部修了(組織神学)。現在、日本センド派遣会総主事。
主な著訳書に、編著『存在の喜び―もみの木の十年』真文舎、『申命記 新聖書講解シリーズ旧約4』、『コリント人への手紙 第一 新聖書注解 新約2』、『テサロニケ人への手紙 第一、二 新聖書注解 新約3』、『ガラテヤ人への手紙 新実用聖書注解』以上いのちのことば社、F・F・ブルース『ヘブル人への手紙』聖書図書刊行会、他。