<「しなやかに」対応する>
「僕は曲がったことが大嫌いなんです! 相手が悪いのに、どうして僕がブタ箱に入らなければならないんでしょうか!」 警察の留置場の面会室の窓越しに、F君は私にこう叫びました。
ある晩、新宿のバーで友達と飲んでいたら、酔っぱらった隣の客がF君にしつこくからんできたのです。かっとなった彼は、空手有段者の腕力で相手の顔を殴りつけ、前歯を折ってしまいました。びっくりしたお店のマスターの通報でパトカーが駆け付け、F君は傷害罪の現行犯で逮捕され、警察の留置場に入れられてしまったのです。
厳格な法律家の家庭で育ったF君は、非常に正義感の強い青年でした。しかし正義感が強すぎて、どんな些細な問題にも事あるごとにぶつかり、人々との間にトラブルが絶えませんでした。
「悪人に手向うな」と聖書には書かれています。「右のほおを打たれたら、左のほおを向けてやりなさい」とイエスは言われるのです。「あなたが万物の創造主から受けている絶大なる愛の恵みを思えば、あなたが受ける損害などは、小さなことではないか」というわけです。
だから、すべての人に善いことをして、できる限りすべての人と平和に過ごすべきです。風にそよぐ葦のように「しなやかに」生きるのです。水辺の葦は、大木を倒すような強風にも、土砂崩れを起こすような大雨にも、曲がるだけ自分を曲げて、「しなやかに」やり過ごしています。やがて強風が吹き去り、大雨が降りやめば、何事もなかったように、再び天に向かって真っすぐに伸びているのです。
あなたは、誤解や悪意による、人の批判や悪口にさらされるかもしれません。「しなやかに」受け流していきましょう。できる限り打たれ強くなって、相手を決して悪く思わないことです。いちいち言い返したり、やり返したりすれば、復讐が復讐を生む悪循環に陥ってしまうからです。復讐はすべてを見ておられる全知全能の神に任せて、あなたは悪に対して悪をもって報いず、かえって善をもって報いるようにすればよいのです。
宮沢賢治の『雨にも負けず』の主人公、斉藤宗次郎は、キリストを信じたがゆえにさまざまな迫害に遭いましたが、決して恨んだり、復讐することなく村人たちを愛し続けました。「そのような人に、私もなりたい!」と宮沢賢治に言わしめたのです。
<「したたかに」抵抗する>
「えっ、あのM君が自殺したんですって! そんなばかな、とても信じられません…」。突然の死で周囲の人たちを絶句させたM君は、教育者の息子としてすばらしい家庭環境に育ち、立派に成長した青年でした。明朗かつ温厚、スポーツ万能、病気知らずの健康そのものでした。その上、背が高く知的で、人々に親切でした。だれもがあこがれる理想の青年像でした。だれからも好かれ、尊敬されていました。
社会に出て数年間、証券会社で働き、優れた成果を上げ、将来を嘱望されていました。しかし、もっと若い人たちと心と肌で触れ合えるような仕事をしたいと、彼は高校の先生になったのです。生徒全員から慕われ、楽しく有意義な教員生活を満喫していました。
ところが、ある人との人間関係のもつれから、非常に苦しみ、悩むようになりました。責任感の人一倍強い彼は、問題を引き起こしてしまったことで、自分を責め続けました。苦悩の中で救いを求め、友人の紹介で教会に通い、聖書を学び始めました。けれども、信仰の確信に至る前に、突然、自ら命を絶ってしまったのです。
だれでも窮地に追い込まれたら、「死んでしまいたい」と思うものです。問題の原因の一部が自分にある場合は、特にそういう気持ちになりがちです。しかし、極限状態に置かれても「こんな問題でこれ以上打ちのめされるのはごめんだ!」、「私には大切な使命がある。こんなことで負けてたまるか! 転んでもただでは起きないぞ!」―「したたかに」こう抵抗する力は、神を信じる信仰から生み出されるのです。「全能の愛の神が私の味方だ。どんな問題も私を押しつぶすことはできない!」と信じることができるからです。
「私の過去・現在・将来のすべての罪を負い、私の身代わりとしてイエスが十字架の刑罰を受けてくださった」と悟ったなら、M君は自責の念から解放され、全能の愛の神に助けを求めることができたはずです。そうすれば、問題の重圧の中に解決の光を見いだし、死を選ぶことはなかったでしょう。
「非暴力・非協力・不服従」。これをスローガンに大衆運動を指導したマハトマ・ガンジーは、イギリスによる植民地支配から、インドの独立を勝ち取りました。不当な植民地政策に対して、デモや暴動をもって対抗するのではなく、非暴力に徹して「しなやかに」対応しました。でも、断固として、非協力・不服従を貫き、「したたかに」抵抗して、勝利したのです。
「私の生涯に最も深い影響を与えたのは『新約聖書』である」とガンジーは言っています。「しなやかに」かつ「したたかに」生きることを、彼は『聖書』から学んだのです。
「鳩のように素直に、蛇のように賢くありなさい」。イエスはこう言われました。葦が折れないのは、暴風雨にさらされても「しなやかに」対応するからです。葦が押し流されないのは、土の中に深く「したたかに」根を張り巡らしているからです。パスカルは、「人間は『考える葦』である」と言いましたが、むしろ「人間は『信じる葦』である」と言うべきだと思います。
さまざまな問題に対して、隣人を心から愛する愛をもって「しなやかに」対応しましょう。しかし、あなたを押しつぶそうとするような問題に対しては、神の中に深く根差した信仰をもって「したたかに」抵抗し、かえってその問題から、神の大いなる恵みと祝福を勝ち取っていきましょう。
佐々木満男(ささき・みつお)
国際弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。インターナショナルVIPクラブ(東京大学)顧問、ラブ・クリエーション(創造科学普及運動)会長。
■外部リンク:【ブログ】アブラハムささきの「ドントウォリー!」