そうすると、あなたが今抱えている一つの問題についても、いろいろな見方があるわけです。「大変なことになってしまった。命取りになるかもしれない!」「なんだ、つまらない問題だ」「すばらしいチャンスだ。この問題を通してきっといい事が起きるぞ!」― 大切なことは、その問題をどのように見るかは、あなた次第だということです。
「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」「志を立ててもって万事の源となす」「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし」(松陰語録)
「至誠」(誠意を尽くす)を生涯のモットーとして、幕末の時代を生きた吉田松陰。黒船に密航しようとした松陰は、逮捕、入獄の憂き目に遭いました。暗くじめじめとした牢内は、暖炉もなく、囚人たちは皆、絶望して自暴自棄になっていました。松陰だけは、実兄が差し入れてくれた本を毎日2冊、合計6百冊余りを読破し、喜々としていたそうです。
「投獄」という一つの状況も、「絶望」と見ることができるし、逆に、「希望」と見ることもできるのです。読書により研さんを積んで獄を出た松陰は、生家に幽閉されました。そして、叔父の経営していた松下村塾を引き継ぎました。入塾を希望する者は、だれも拒まみませんでした。商人、足軽、武士、農民の差別もせず、子どもから大人まで年齢も問いませんでした。
松陰の教育方針はただ一つ。「人の長所を見抜いて、それを伸ばすこと」。どんな人にも愛情と誠意をもって接しました。相手を心から信頼し切って、欠点や失敗を責めない。常にその動静に目を配って長所を見いだし、それを自覚させて自信を持たせてしまう。それを実行した人が吉田松陰です。
松陰が門弟の指導に当たったのは、再び投獄され首をはねられるまでの、わずか2年間でした。にもかかわらず、その門下生からは幕末、維新で活躍した多くの志士やトップリーダーたちが輩出しています。高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤博文、井上馨、山県有朋、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、吉田稔麿、入江九一、前原一誠などです。坂本龍馬も久坂らの影響を大きく受けています。
長州藩の小さな私塾から、ごく短期間にこれほどの逸材が輩出したことは、実に驚くべきことではないでしょうか。「欧米列強の植民地支配から日本を守り、自主独立の国家をつくらなければならない」― 藩という小さな枠を超えて、松陰は大きな理想を抱いていました。名もない下級武士や商人たちの将来の可能性を見抜いた松陰は、彼らの心に理想を植え付けました。愛情と誠意をもってそれを育てたのです。
神は何を見ておられるか? 私たちは知らないうちに、世間の常識にとらわれた見方をしています。新聞やテレビが報道することを、うのみにしがちです。あまりにも情報が多すぎて、自分で考える余裕がありません。自分で考えても、堂々巡りでしっかりした理想を持てないことが多いのではないでしょうか。
万物の創造主なる神を信じる者は、神の見方で物事を見る必要があります。「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ書55・9)
「たった一本のトマトの木に、一万数千個のトマトが実る」― 筑波の科学万博でその実物が展示されました。その原点は、一つのトマトの、たった一個の小さな種です。
そうすると、「一個のドングリ」を見て、あなたは大きな「カシの木」を想像することができるのではないでしょうか。そうです、あの大きなたくましいカシの木は、たった一個のドングリから生え育つのです。
それでは、「一個のドングリ」に天の父なる神はどんな可能性を見ておられるのでしょうか。生い茂る「カシの林」を見てはおられないでしょうか。いや、うっそうと茂る、「カシの森」を見てはおられないでしょうか。全能の神は、たった「一個のドングリ」にも無限の可能性を見ておられるのです。
ましてや愛の神は、あなたの中に「無限の可能性」を見てはおられないでしょうか。そうです、あなたは無限の可能性を持っているのです。そうだとすると、あなたは他の人の中にも無限の可能性を見るべきではないでしょうか。あの幕末のように、今、いかなる混乱と悲観に世の中が支配されていようとも、日本と世界を「新しく変革する可能性」は、あなたの中に隠されています。同様に、日本と世界を新しく変革する可能性は、あなたの周りの人の中にも隠さているのです。
佐々木満男(ささき・みつお)
国際弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。インターナショナルVIPクラブ(東京大学)顧問、ラブ・クリエーション(創造科学普及運動)会長。
■外部リンク:【ブログ】アブラハムささきの「ドントウォリー!」