そもそも人は信用できる存在なのでしょうか? 自分のことをよく考えてみましょう。いつもは善人ぶっていても、いざとなれば、他人を犠牲にしても自分の利益を守ろうとしないでしょうか? 自分が信用できないのに、なぜ他の人を信用するのでしょうか? だれでも人から信用されればうれしいですが、信用されすぎたら重荷になってしまうと思います。
私は人から一方的に信用されすぎて負担になることがよくあります。信用されすぎると、その信用に答えられない時には、その人を裏切ってしまうことになります。ですから私はあまり人を信用しないことにしています。その人に負担をかけないためです。
たとえば、人にお金を貸す時は、返済をあてにしないで貸すことにしています。聖書には「そのようにしなさい」と書いてあります。
すぐ返すつもりで人からお金を借りて、長期間返せないでいることを、私も体験しています。人を信用していなければ、裏切られることもありません。初めから裏切られることがある可能性を覚悟して付き合うのです。「人はほどほどに信用する」ということでしょうか。
人は信用すべき対象ではありません。人はお互いに至らないところを赦しあい、お互いに愛しあうべき対象なのです。本当に信用できるのは、私たちを決して裏切ることのない最も誠実なお方、イエス・キリストただお一人だけです。
「人を信頼する者は呪われる。神を信頼する者は祝される」
旧約聖書・エレミヤ書の言葉です。
佐々木満男(ささき・みつお)
国際弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。インターナショナルVIPクラブ(東京大学)顧問、ラブ・クリエーション(創造科学普及運動)会長。
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