けれども、神の目的は、問題によってあなたを祝福することである。問題によって、あなたをもっと強くし、もっと明るい希望を持たせ、隣人をもっと愛し、あなたをもっと生き生きと生かすことである。
心を静めてよく考えてみると、創造主から与えられている恵みは無限大である。輝く太陽、美しい野山、整った町並み、澄んだ空気、幼子たちの笑顔、家族や友だちとの親しい会話、目が見えること、耳が聞こえること、口で物を食べたり、手が使えたり、足で歩いたり、自転車に乗ったり・・・。
それらに比べれば、いやな問題は例外中の例外にすぎない。神から与えられている数え切れない楽しみや無数の感謝すべきことに囲まれていながら、それに気が付かないだけのことなのだ。
私たちの心はすぐに鈍くなって、すべての恵みを当たり前としてしまい感激も感謝もしない平々凡々な生活に陥ってしまう。そんな時に、いやな問題が生じると、ふだんの平凡な生活が実はとても恵まれていて、大いに喜んで心から感謝すべきものだったことに気づく。
無数の恵みの中の幾つかのとてもいやな問題も、本当は大きな益をもたらす恵みである。それらは私たちの人生という創造主のすばらしいごちそうを感謝して味わい直し、かつなお一層おいしくするスパイスなのである。
「神は、神を愛する者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」―聖書にはこう約束されている(ローマ8章28節)。とても受け入れ難いいや問題も、実は、あなたに益をもたらす大きな恵みなのである。
「今ある恵みを数える」ことによって、創造主の恵みに思いを向けることができる。無限の恵みの世界に入っていくことができる。創造主ご自身にあなたの思いを集中していけば、「キリストの無尽蔵の富」(エペソ3章8節)を掘り当てることができる。
あなたの心が問題だけにとらわれていると、いやな問題からもっといやな問題へと、サタンの呪いの世界に引きずり込まれていく。サタンの魂胆は、盗み、殺し、滅ぼすことである。
いやな問題を通して働くサタンの呪いからあなたが解放されるためには、「問題」をきっかけにして、創造主に救いを求めることである。父なる神の「解決」へと心の方向を転換することである。宇宙万物を創造された全知全能の創造主に解決できないような問題は、そもそも存在しないのである。そもそもイエスが来たのは、あなたを救い、いやし、解放し、勝利し、豊かにし、あなたに愛と喜びと平安と希望と力とを与え、あなたに無制限に永遠の命を与えるためである。
「今ある恵みを数える」のは、それを体験するための手段の一つだ。恵みの一つ一つを思い起こすことで、それらを無制限に与えてくださっている偉大な愛の創造主の存在を確認し、その父なる神がいかにあなたを愛しておられるかを再認識するのである。心の方向を、地から天へ転換するのである。すると、創造主の恵みによって強められ、「問題は必ず解決する!」という確信が湧いてくる。あなたの問題が解決すれば、もっと幸せになるという希望が見えてくる。こうして、いやな問題をあなたの人生のスパイスとして大いに期待し、大いに楽しむことができるようになる。
最近私は、いくつかの解決不能なとんでもない大問題を抱えてしまった。また、自分の力ではとうてい乗り越えられない困難な試練に遭遇している。でも、「主よ、どうしてですか?」という祈りはしないことにした。自分のせいにせよ、他の人のせいにせよ、神はすでにすべての罪を赦し、誰にでも祝福をそそいでくださるからである。
「主よ、なぜだかよくわかりませんが、とにかくこれらの問題と試練を感謝します。あなたはこれらを通して、必ずすべての関係者を祝福してくださることを信じます!」 こう繰り返し祈っている。
日々緊張と激しい戦いの中にあるが、事実、徐々に事態は好転しつつあり、解決への希望が見えてきた。困難な問題の中で、生ける神の現実の助けを体験できることは、とてもうれしい恵みであり、大きな祝福である。問題が解決した暁には、とんでもないすばらしい可能性が開けてくる確信が強まってきた。
いやな問題は、人生をよりダイナミックに、そしてより豊かに生きるためのスパイスである。
「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ」
(詩篇103篇2節)
「あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい」
(Ⅱテモテ2章1節)
佐々木満男(ささき・みつお)
国際弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。インターナショナルVIPクラブ(東京大学)顧問、ラブ・クリエーション(創造科学普及運動)会長。
■外部リンク:【ブログ】アブラハムささきの「ドントウォリー!」