ところが、二回目の接見の時は、雰囲気がまったく違っていた。大事件が起きたようで、警察署全体が緊張感でみなぎっていた。担当警部から大声で事件の状況が説明され、捜査官たちがきびきびと動いていた。けたたましくサイレンを鳴らし数台のパトカーが出入りしていた。間もなく手錠をかけられた7人の暴力団員風の男たちが縄でつながれて入ってきた。凛々しく働いている警察官が非常に頼もしく見えた。
私たちは問題が起きると、「あぁ、いやだなぁ」と否定的に受け止めてしまう。難しい問題の場合には、「あぁ、ダメだ、もうどうしようもない!」と悩み込んでしまう。
でも、よく考えてみると、どんな問題にも積極的な意味がある。入学試験であれば、問題に正しく解答すれば志望校に合格できる。入社試験、留学試験、昇級試験、運転免許試験・・・試験と名のつくものは、それぞれ積極的な目的がある。
仕事や職業のほとんどは、問題があるから存在している。例えば、法律のトラブルがあるから弁護士が必要とされる。犯罪があるから警察官、検察官、刑務官が必要だ。病気があるから医者や看護士がいる。教育の問題があるから教師や研究者がいる。心の問題があるから牧師や僧侶がいる。経済問題を解決するために銀行マン、商社マンがある。行政問題を司るために公務員が存在し、法律問題を公正に裁くために裁判官が存在し、政治問題に取り組むために議員が存在する。
愛の神が存在するのに、なぜ、いろいろな問題が発生するのだろうか。聖書によれば、神が統治する国には、殺人も、詐欺も、病気も、貧困も、争いも、戦争もない。神の永遠の愛の世界で、無限の楽しみを喜び、無尽蔵の豊かさを満喫できるのだ。だから、この世のすべての問題の根源は人の罪にあると言わざるを得ない。にもかかわらず、神はすべての問題をその人の益にしてくださると約束しておられる。
まず、問題に真剣に向き合う時、その原因を追求せざるを得なくなる。自分の罪が原因であれば、それを悔い改めることができる。他人の罪が原因であれば、その人の悔い改めを促すことができる。問題解決のために全力を尽くすことを通して、自分の眠っていた能力を引き出すことができる。ついには、敵を愛し、迫害する者のために祈るように導かれる。
自分だけで問題を解決できなければ、人の助けを求めることになる。そこで、人間同士がお互いに助け合い愛し合う関係が生まれる。それでも解決できなければ、神に助けを求めざるを得なくなる。そこで、神と人間が助け合い愛し合うというすばらしい関係が生まれる。
問題と取り組みこれを解決していく過程で、新発見、新発明、新製品、新薬、新法、新政策、新制度、新記録、新作品、新曲・・・より良い新しいものが生み出されていく。だから問題があることに感謝しよう。
「耐えられない試練は与えられない」と聖書に書かれている。「どんな試練にも初めから逃れる道が用意されている」とも書かれている。神に助けを求めれば、どんな問題も耐えることができ、どんな困難も乗り越えることができる。重圧に耐えながら神と共に問題の解決に取り組んでいくと、その問題が次々に自分に益をもたらすことを体験していく。だから問題があることに感謝しよう。
しかし最大の益は、言うまでもなく、全能の愛の神と自分との関係が限りなく深まっていくことである。だから問題があることを感謝しよう。
佐々木満男(ささき・みつお)
国際弁護士。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。インターナショナルVIPクラブ(東京大学)顧問、ラブ・クリエーション(創造科学普及運動)会長。
■外部リンク:【ブログ】アブラハムささきの「ドントウォリー!」