試練は私たちを強めるものであり、ワンランクアップするためにあります。問題が起きたときに、絶対に耐えられるということを知るために訓練されています。
あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(1コリント10・13)
ヨセフは13年神の御前に砕かれて神の計画の業に入るに至りました。イスラエルの民の本当のゴールは、エジプトを出てカナンの地に行くことでした。しかしそれを忘れて、食べ物や、人間関係の問題が生じると「神様、助けて」となってしまいました。試練は歓迎するものであることが御言葉に書かれています。
神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります(ヤコブ1・1~4)。
私たちは試練を通してテストされています。戦いに出るときも、テストをパスした者だけが戦闘に出て行きます。ギデオンの戦士もそうでした。日本のリバイバルに用いられる器となるように、私たちも同様に試練を与えられているのです。神様は、あなたが自分で試練に立ち向かっていくようにさせているのです。
信仰が試されると忍耐が生じます。その忍耐を完全に働かせると、成長を遂げた完全な者となっていきます(ヤコブ1・3~4)。そして欠けたところのない完全な者になった時、神様の働きの中へ加えられていくようになるのです。
神様の試練をどれだけクリアしたかによって、実りに違いが出て来るようになります。30倍、60倍の実りで良いと思う人もいると思いますが、100倍の実りを残したいという人は、神様の試練を全部通過しなければなりません。天に行く時に、試練を通過してから、整えられたあなたを通して行われる神の働きがあったのに、そこまで行くことができなかったという人にならないようにしなければなりません。
主イエス・キリストを信じ、神の国と義をまず求めることで、すべてのものがやって来ます(マタイ6・33)。必要が満たされるのは当たり前と言えるようになってください。
私たちには「召し」と「選び」があります。ヨセフは総理大臣、モーセはイスラエルの民を連れて導く人という召しはありましたが、そこに行くまでにはテストがありました。神様の目的を知ることで、自分の問題が解決するというような次元ではなく、神様が自分を通して何をなされたいのかというところにまで辿りつきたいものです。その時、サタンは私たちに対して何もできず、私たちは「ギデオンの戦士」として整えられ、日本のリバイバルのために用いられるようになります。
私たちは御言葉で生きていくことを神様に訓練されています。御言葉では「神の計画は災いでない。将来と希望の溢れるものと約束されている(エレミヤ29・11)」と言われているのであれば、これと違うことが起きたときは「違う」と拒絶していかなければなりません。
アブラハムは25年間子供ができなくても、心配しませんでした。「あなたの財布、夫婦関係、今の人生の状況、能力を見てごらんなさい」と現実を見させるのが、悪魔がやることです。
しかし私たちは「私を強くして下さる方によってどんなことでもできるのです(ピリピ4・13)」という神の御言葉によって生きていくのです。
そうすると劣等感も全然気にならなくなります。イエス・キリストを信じたとき、自分が死んだからです。自分の能力、才能によって生きようと思えば、私には何もありません。ところがイエス様を信じたときに、イエス・キリストによって何でもできるという自分を知るに至りました。
神は私たちに勝利の道を歩ませたいと思っているのです。試練はこの上ない喜び(ヤコブ1・2)であり、試練に遭うたびにあなたの信仰がワンランクパワーアップしていくのです。
この試練は逃げるものではなく、向かっていくものであり(ヤコブ1・4)、悪魔に「あなたが」立ち向かわないといけません(ヤコブ4・7)。神様や牧師先生に頼るのではありません。
私たちは完全に忍耐を使って進んでいきたいものです。ダビデはゴリヤテに向かっていったとき、自分で勝てないことは知っていましたが、「この戦いは主の戦いだ(Ⅰサムエル17・47)」と宣言しました。
多くの方は、色々な問題を自分の戦いにしてしまっています。さまざまな試練に対して「自分の能力で対応できるのか?」と考えてしまいがちですが、それは間違いです。私たちが強くなるのは、神を信じるからです。神を信じる中で、敵と戦うのですから、信じている神はオールマイテイの神であり、何でもできる神なので、「あなたのどんな必要も満たす(ピリピ4・19)」ことができるのです。
ダビデも神を信じ、万軍の主の名によって行く中でゴリヤテと戦いました。今あなたにとって試練と思えるものは、あなたにとっては耐えられないことかもしれません。しかし、私たちは、自分でやるのではなく、神にやってもらうのです。
自分ができるかではなく「神ができるか?」です。そうであるならば、全部できるのです。
神に従って悪魔に戦いなさい(ヤコブ4・7)と書いてありますが、しかし多くの方は悪魔と自分が直接戦うと思ってしまいがちです。そうではなく、神に武装していただいて、私たちが悪魔に立ち向かうのです。そうすれば、悪魔は逃げていくのです。
私たちは御言葉で生きていくのです。御言葉が何と言っているかが重要です。アブラハムは25年間神の預言を信じてびくともしませんでした。
悪魔は現実を見させます。しかし、私たちは老いていく自分の身体を見るのではなく、神の約束を見上げます。神が必要を満たすと言われるなら満たすのです。「御言葉を信頼して、神だけに従いなさい」と聖書に書いてある、と宣言するのです。そうすれば、あなたを強くして下さる方によって、どんなことでもできるのです(ピリピ4・13)。
徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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