信仰で願いが叶えられてきた人が、願いが叶えられるまでに時間がかかるようになっているということは、ひとつ信仰のランクが上がったとも言えます。目に見えるものを信じて生きる生き方から目に見えないものを信じる生き方へと移行しているのです。
アブラハムは25年間、子供が生まれなくても神のことばを信じ切れました。彼の中には「疑う」ということがありませんでした。神様がおっしゃったのだから、必ず成されると信じていました。その信仰でイサクが生まれました。
モーセやヨセフは、訓練を経て神の働きをするようになりました。同様に私たちも、いつまでも願う、待つだけではなく、神様に整えられて、私たちが生まれて来た「本当の目的」のための働きの準備をしていかなければなりません。
モーセの人生は始めの40年は一体何をやっているかわからない人生でした。しかしそんなある時、燃える柴の中で、神と出会って、示しを受けるようになりました。同様に私たちも「自分の中にあるもの」を知って備えるものになって行く必要があります。
そのためにはまず、「神の口から出ることば」によって生きるようにならなければなりません。
マタイ4章4節でイエス様は40日間断食した後、サタンに「この石がパンになるように命じなさい」と言われたのを受け、「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある」と答えられました。
このテストを私たちも必ずクリアしなければなりません。悪魔は「見えるもの」によって誘惑してきます。
神の約束だけを信じ、既に「治った」、「成功した」、「用いられた」と信じてください。そうでなければあなたが天国に行ってから「あなたは訓練の途中で天国に来ましたね」と言われてしまいかねません。この世の問題の中で、悩んで苦しむために生まれてきたのではなく、あなたは神様の計画を成すために立てられているのです。だからこそ信仰の次の段階に行かせたいと願われておられるのです。
神様は私たちに試練を与える中でテストをなされ、それに通過した者だけが、次の信仰の段階に上がることができるのです。
ヨセフはそのテストに通過するために13年かかりました。私たちが今通過しようとしている乗り越えないといけない試練とは、「御言葉が何と言っているかを信じること」です。その訓練は、必ず通らないといけません。
サタンは次に「あなたが神の子なら、飛び降りてみなさい」と誘惑しました。御言葉を使って「詩篇91篇1~2節に『あなたが飛び降りても、御使いが救う』と書いてあるから、イエスよ、飛び降りてみなさい」と誘惑しました。
イエス様はサタンが神を試みて、神のことばに疑いを生じさせようとしていることを見抜いていたので、飛び降りずに申命記6章16節「あなたがたの神、主を試みてはならない」の御言葉を用いて跳ね除けました。私たちにもこのような神の御言葉に対して疑いを生じさせるような試練が生じてきます。
聖書では「試練は喜ぶべきものである」と書かれています。
そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです(ローマ5・3~5)
経済的に困ったとき、「どうしよう?」と心配するのではなく、「『神様は私の必要をすべて満たす(ピリピ4・19)』と書いてある、アーメン」というところにあなたが立っていくことで、そのとおりになります。そのような試練を通して、祈ってそれが答えられて喜ぶのではなく、御言葉に既に書かれてあり、神様が約束されておられるので悩む必要はないことを知るようになっていきます。
今の状況や環境を見つめるのではなく、「神様が約束されていることだから大丈夫」と信じてください。
そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている(イザヤ59・19)。
日の上るほうで、聖霊の息を吹きまくっている―これを信じてください。神のことばは何と言っているでしょうか。「自分の家族は神を信じようとしない」と嘆くのではなく、主イエス・キリストを信じてください。そうすればあなたも、あなたの家族も救われます(使徒16・31)。伝道してなかなか救われない方がおられるかもしれません。しかしそれでも「神のことばが必ず成る」と信じてください。世界が始まって以来ものすごいリバイバルが日本にやってこようとしています。ですから「まだテスト中」ではなく、早くテストを通過して、より信仰の強い者へとなっていく私たちでありたいと思います。
「かん難を喜ぶ」ということができる人は、主の御心を知っている人でもあります。どうしてかん難を喜べるのかといいますと、
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです(Ⅱコリント4・17)。
という御言葉を信じているからです。罪を犯す人は、「失うものの大きさ」を知らない人です。120年しか生きない世の中で、金持ちになって生きようとする人は、その後の永遠の世界のことがわかっていません。後に起る永遠の財産を見失っています。どうして私たちはかん難を喜ぶのかといいますと、「比べるもの」が違うからです。私たちの受ける報いは天にあります。
私たちは永遠と比べています。「重い永遠」と比べると今のかん難は比べ物にはなりません。例えてみれば、「10円欲しいか?それとも世界旅行に行きたいか?」の違いがあります。それ以上に、後に受ける「重い永遠の栄光」がものすごいものなのです。
神様の御手はあなたを覆っています。しかしその中で覆いを緩めてサタンの攻撃を許し、サタンの攻撃にあなたが耐えられそうもなく、ちょっと無理かなと思われたらまた御手で覆われます。そして、ついにはあなたの信仰でサタンに立ち向かえるようにされます。
耐えられない試練を神様が私たちに送られることはありません。私たちは問題が生じると逃げたくなります。しかしそうではなく、その問題に対して、サタンに対して向かっていかなければなりません。
ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります(ヤコブ4・7)。
神様の御手の覆いが緩められるということは、あなたがこの問題に立ち向かう機会を与えておられるということです。ただ神様に経済、病の癒し、家族を救ってほしいというのではなく、試練を通してあなたがこの問題に立ち向かうようにされておられるのです。
ダビデはゴリヤテに対し、主と共に闘いに挑みました。試練を受けたとき、神様は「あなたが問題に立ち向かう」ようにされます。それなのにいつまでも「神様、牧師先生助けてください」と自分でやろうとしない姿はないでしょうか。
試練を受けるということは、「あなたが自分で祈る」という訓練でもあります。神に従い祈ることで、悪魔はあなたから逃げ去ります。ですからサタンが問題を持ってきても、イエス・キリストの愛によって立ち向かうことができるのです。神のことばで生きる訓練であり、そうした中にあって、信仰が成長していくようになります。
神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります(ヤコブ1・1~4)。
悪魔に立ち向かう試練をたくさん経験する中で、「神の御声とはどういうものか」、「これは神の御言葉だろうな」ということが見極められてくるようになります。
ですから「試練よ、来なさい」と喜ぶ者でなければなりません。テストに合格しなければなりません。試練が来て「どうしよう?」と慌てふためくのではなく、あなたの信仰がレベルアップして、ヨセフが総理大臣の仕事をするようになるレベルに達することを神様は願われておられます。
試練によって1ランク信仰のステージが上がります。そして、あなたが家庭のリバイバル、日本のリバイバルを導いていける人になっていくのです。
徐起源(そう・きうぉん)
ERM聖書学校校長。恵那クリスチャンセンター(岐阜県恵那市)牧師。恵那レーマミニストリー代表、愛知県一宮市の超教派聖会「ワールド・リバイバル・カンファレンス」の理事・講師を務めるなど、その活動は多岐にわたる。同校本部の岐阜県恵那市に加え、京都、岡崎(愛知)、沖縄、立川(東京)など全国数カ所で聖書学校、聖会をおよそ月1回のペースで行っている。インターネット聖書学校、通信聖書学校等も現在開講中。※画像は恵那レーマミニストリーのロゴ。
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