また戦後にあっても戦争で死亡した日本の戦死者を「英霊(ひいでた霊魂)」としてまつろうとする「英霊」思想は明治学院からも消え去らず、公権力の「英霊」参拝を積極的に推奨してきた姿があったことを認め、「死者を神としてあがめる『偶像崇拝』という、『聖書』に自己啓示されている私どもの主なる神が最も忌み嫌うその罪が、明治学院との関係において戦後も引継がれてきていた証左の一つなのです」と告白していた。
大西氏は戦前の国家神道とキリスト教教育の関係について、1899年の文部省訓令第十二号において「一般の教育」が宗教から引き離される制定がなされたことから国内のキリスト教教育の難儀が始まったことを説明した。これを受け、青山学院、東洋英和学校、同志社、立教、明治学院、名古屋英和学校がキリスト教学校として連帯し1910年にプロテスタント学校の間で基督教教育同盟会が発足しされた。
訓令を受け、それぞれのキリスト教学校では宗教教育を止めるべきかという選択に迫られ、実際東洋英和学校(後の麻布学園)はキリスト教教育を止めるに至った。青山学院、同志社、明治学院は中学校令による中学の廃止によるキリスト教教育存続、立教は宗教教育を寄宿舎で行うことで中学校令による中学校を存続する道を選ばざるを得なくなっされた。
さらに1930年には修身教育の中に神道の要素が導入されるようになり、児童の神社参拝が国策として奨励されるようになり、同年には長崎県の小学校教員が神社拝礼を拒否したため免職処分、岐阜県の小学生が伊勢神宮参拝修学旅行参加拒否で停学処分となるなどの問題が生じていた。
1930年5月には基督教聯盟が「神社問題に対する進言」の中で「神社が宗教であるか否かを明白にすること、神社が宗教でないならば宗教的行為を廃止すること、神社が宗教であるとするならば宗教行為を国民に強制しないこと」などを文部省に要求していた。
これに対し当時の文部省からは数年の内には容易に片付く問題ではないことをほのめかされ、その後基督教聯盟は「神社は宗教儀式ではなく、国民道徳の一手段である」との文部省の見解を受け入れるに至っていた。このような変化の背景には、満州事変という対外戦争の勃発と、カトリック学校、とりわけ上智大学の靖国神社参拝拒否事件に対する軍部の厳しい対応があった。
1933年に行われたキリスト教教育同盟第22回総会においては、「神社参拝は教育行事であって宗教的礼拝ではない。我等が真に拝むべき一つの神をしっかり把握していれば、神社に参拝してもそれは祀られている人たちへの尊敬であって、その間に何の混同も生じる筈がない」という意見にまとまるに至った。
大西氏は明治学院第三代総理で日本基督教会富士見町教会員、ジャーナリスト、衆議院議員でもあった田川大吉郎が時事的な問題書として書いた『国家と宗教』(教文館・1938)について紹介した。同著で田川は「宗教と国家の対立はわが国にはない」とし、「宗教の信仰は各自の自由である。神道は宗教の外なる国家の礼典である。一切の国家儀式は、国体に従って挙行されて居る。世界のいずれの国の宗教制度の内容に比べても遜色のない、近代的な制度方針である」との解釈を紹介し、「従って国体論を基盤とする国家と宗教には対立がない。その場合、条件として神道を国教化する、あるいは非宗教下することによって、逆に信教の自由を保証し、神道の祭神に非宗教的な性格を与えて、これを尊重し、崇拝する」と神社非宗教論と制限された信教の自由との関連を記していたことを紹介した。
無意識に組み込まれている宗教儀礼に懸念
陶山氏は明治学院について「『大喪の礼』と『即位の礼』の時、数ある日本の学校の中で、平常授業を行うことのできた唯一の学校であった」と紹介した。陶山氏はほとんどの国民が無宗教である日本社会の隠れた問題について、「学生に神社に初もうでに行ったことがあるかと聞くと、ほとんどが行っている」ことを指摘し、無意識に宗教的行為に参加している傾向があることを指摘した。その上でキリスト教教育、キリスト教信仰のあり方について「正しいことを正しい、正しくないことを正しくないとしていく姿が必要であり、キリスト教教育に沿っていくならば『信教の自由』をわかっていないといけない。信念に基づく良心の自由がなければならない」と述べ、現代日本の政治家の中でもうっかりと(特定の信念に基づくのではなく)宗教的なことに無意識に関わってしまっている事態が生じていることに懸念を示した。
あまた戦後日本で日本国憲法の制定、象徴天皇制とした過程について、「憲法第9条含め憲法のほとんど、天皇人間宣言を日本人が作れなかったということが、今もってやはり天皇制および日本宗教に対してもっている日本人のコンプレックスである。したがって、私たちは良心を研ぎ澄ますことが必要である。これを行うのがキリスト教教育だということを肝に銘じて33年間教壇に立ってきた。いつもこの問題において立ち返るべきところはキリスト教学校で宗教教育を禁止せざるを得なくなった1899年の文部省訓令第12号である」と述べた。
天皇の神格化は過去の問題ではない
その上で陶山氏は、「天皇を神格化する問題は、過去のことではなく、これからも起こり得ること。信教の自由の問題はあまり日本人の中で問題意識されていない。宗教に対する無関心の問題がある。宗教を日常生活に密着した仕方で理解していくことが必要。今秋も靖国神社に政府閣僚が参拝に行った。歴史認識の誤りを全く理解していない。このズレがものすごく大きい。昭和天皇でさえ靖国参拝には行かなかった」と指摘した。
陶山氏は特に靖国参拝に行く閣僚が何らかの信念によるのではなく、「現在は日中韓関係が緊張しているから行かないほうが国益にかなう」など時宜的な対応をするに留まっていることにも懸念を示した。
陶山氏は日本において信教の自由が守られているにもかかわらず、「個人の信仰とは無関係に宗教行事がなされるということは今後も起こり得る。天皇制そのもののもつ危機が今後もあり得る。日本人は先祖が神話的なもので植えつけられた『特別な民』であるという意識が今後も起こり得るということを十分気をつけていかなければならない」と述べた。
神ならざるものを神としてはならない
大西氏は国家神道とキリスト者の関係について「『神ならざるものを神としてはならない』というモーセの律法に忠実に生きるというのが非常に重要なポイントである。そこに原点をおいて考えていかなければならない。神社がは政治社会の統合を促す『市民宗教』『国民宗教』であると言われることもあるが、『神ならざるものを神としない』という流れに立つのならば、(日本社会の中にあって)『新しい宗教』を作って良いのかということが問われる。『市民宗教』は見えざる宗教でなければならない。人間がどこかで神様をつくりあげてしまっていいいのだろうかる。これはキリスト教徒としては、見過ごしてはならない問題ではないだろうか。変えてはいけない基本的な問題というものがある。これが私達の根本になければ、キリスト教に立つ学校とは言えないのではないか。そこを意識しなければならないと思う」と述べた。
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講演者略歴
陶山義雄(すやま・よしお)氏:1936年生まれ。明治学院中学校、同高等学校卒。東京神学大学、ニューヨーク・ユニオン神学大学院(STM)、コロンビア大学院(MA)を経て1961年4月より明治学院高等学校・聖書科教諭。1968年4月より1996年まで明治学院大学キリスト教学講師。1994年4月より東洋英和女学院大学教授(聖書学)。現在、同大学名誉教授。生涯学習センター講師。主著『イエスをたずねて』(新教出版社)他。
大西晴樹(おおにし・はるき)氏:1953年生まれ。法政大学、明治大学大学院修士課程、神奈川大学大学院博士課程を経て1983年4月より明治学院大学経済学部専任講師、1993年同教授。経済学博士。2008年4月より明治学院大学学長、現在、明治学院学院長、キリスト教学校教育同盟常任理事、キリスト教史学会理事長。主著『イギリス革命のセクト運動』(御茶の水書房)他。