このような最中、米インディアナ州グレンジャーで急成長中のメガチャーチ教会グレンジャー・コミュニティー・チャーチ牧師のティム・スティーブンズ氏は、教会の礼拝に実際に参加することが必要不可欠である理由について自身の見解を明らかにした。7日、米クリスチャンポスト(CP)が報じた。
スティーブンズ氏の教会では4つのキャンパス、うち一つはオンラインの礼拝キャンパスとなっている。オンライン礼拝によってより広くの人々に礼拝メッセージが届けられる方法を支持する一方、同氏は実際に教会の礼拝に参加することについて「教会があなたを必要としている一方、あなたも教会を必要としているのです。もし一週間に一回教会に行くのであれば、次の一週間の霊性をその礼拝の中で得ることができます。オンライン礼拝を視聴するだけでも大丈夫かもしれません。オンラインラジオやクリスチャンの書籍、聖書の勉強やテレビ伝道者の番組を見ることも益になるでしょう。しかし教会の目的は、そのような個人的な勉強や閲覧よりももっと大きなところにあります。礼拝に参加し、祈りや聖書勉強に共に参加し、共に仕え合い、宣教に関わることが教会の活動であり、これはひとりでできるものではありません」と述べている。
牧師であるスティーブンズ氏自身も友人から「オンラインで礼拝放送が見られるのにどうして教会に行く必要があるのか?」と問われた際に、教会が物理的に存在する役割について深く考えざるを得ない状況に追いやられたという。
近年特に米国ではオンラインで礼拝を奉げるメガチャーチが増えるにつれて、この問題が議論として取り上げられるようになってきた。多くのメガチャーチがオンライン礼拝を支部教会などに放送し、バーチャルな聴衆に囲まれて礼拝を伝えるようになっている。このような中一部の米牧師らはオンライン教会の効果やこのような礼拝形式が聖書的に見てどうなのか疑問を抱き始めている。
米南部バプテスト神学校学長のアルバート・モエラー博士は「地方の教会礼拝に参加する代替としてオンラインメガチャーチ礼拝を利用することは危険です。聖なる者たちの交わりはイエス・キリストの弟子としての恵みを分かち合うのになくてはならないものです。信徒はキリストの名の下に共に集まる必要があります」と注意を促している。
スティーブンズ氏は自宅から教会の礼拝と礼拝賛美をスクリーン越しに見ることは、彼らの存在が教会から切り離されていることを意味していると指摘し、「自宅で礼拝放送を見るとき、『教会員5000人のメガチャーチの礼拝で、自分ひとりが出席していなかったとして誰がそれに気づくだろうか?』という思いで自宅での礼拝放送を見る選択をされるかもしれません。しかしそのような霊性はとても視野が狭く、正しい信仰のあり方ではありません。オンライン放送を見て教会に出席しないとき、自分が教会に出席していることの重要性を過小評価していると思います。神の霊があなたと共にいることの力を過小評価することで、自宅で礼拝放送を見るだけで大丈夫であると思ってしまうのです。神様があなたを通してなされたい御心を見逃されておられるのではないかと思います。教会というものは、それ自体神の人々の集まりを意味するのであり、実際に『あなたが教会に存在し、兄弟姉妹に励ましの言葉をかけ、奉仕の活動をする』必要があるのです。あなたの持っている賜物、能力、考え、奉仕、指導力、その他の資質や愛が教会の集まりの中で必要不可欠なのです。一方あなたご自身もあなたが思っている以上に教会を必要としているのです。聖書には教会との関係について多くのことが書かれています。互いに愛し、互いのために尽くし、互いに励まし合い、導きあう。互いに挨拶をし合う。このような実際の交わりはバーチャルな環境では不可能です」と述べた。
一方でオンライン礼拝放送の重要性についてもスティーブン氏は強調している。同氏はオンライン礼拝の重要性について、「まだ信仰の共同体に足を踏み入ることができていない孤立した環境下にある人たちと教会を結びつける架け橋の役割を成すものだと思います。さらにオンライン礼拝放送は世界中どこに住んでいる人々にも届けることができます。教会の礼拝に参加することが難しい人々もオンラインで礼拝放送を視聴することができ、友人を教会に招く架け橋としても有効です。また実家や遠隔地に長期滞在して教会から物理的に離れた場所にいる時に、自分の教会礼拝とつながるのにも有効です」と述べている。