元大日本正義団二代目会長で広域暴力団山口組との抗争事件を起こした中心人物であったものの、キリストに導かれてからは聖霊の賜物を受け、さまざまな教会、奉仕地で霊的・肉的な病を癒す祈り、霊性を深めるための聖書の御言葉に即した深い講義を提供している吉田氏は、聖霊の賜物について「聖霊を認め、力を求めたら、神様はただでくださる」と述べ、日本の教会がリバイバルするには、聖霊を認めることが必要であると説いた。
吉田氏は詩篇16篇1~2節を引用し、キリスト者として本当に癒されるには「神の御心を知ることが本当の幸いであること」を知り、御言葉を知り尽くすだけではなく心で信じることが必要であると説いた。神に祈りをする際に、癒しの祈りであれば、癒しの衣、経済の祈りならば経済の衣と、それぞれの祈りに即した霊的な衣を着てから祈ることが大切であるとし、「家を出ていくとき裸では出ないのと同じように、衣を着てから神に会う。霊の神は、そのとき来てくださる。まずは霊の衣を着てから祈ることを覚えてください」と説いた。
また天地万物を言葉を発することによって創造された神に祈りをする際、「神様は口に出したことは必ず形づくってくださる。言葉に出すことによって、癒しの祈りをしたら、癒しの霊をもってきてくださるから癒しが起こる」と癒しが生じる仕組みを説明した。
『赦せない心』が神と人の妨げに…
一方で祈りが聞かれる際の妨げになる「霊の衣」が存在することについて、吉田氏は「傷つけられた人を赦すということがものすごく大事。赦すことで『その人の殻』を打ち破ることになる。人を赦さないでいるというのは憎しみの衣という、いらない衣を着ている状態だから、神様がその人の中に入って来れない。癒しの霊が来ていても、いらない衣による『壁』を作ってしまっているから、癒しの霊が入ってこれない。殻を打ち破って人を赦すこと。癒されたいときは、まず人を赦すことが大事です」と説いた。「赦さない」という心は憎しみの霊であり、悪霊の働きであるという。この憎しみの霊を追い出すことで、癒しの霊が入ってくるようになるという。
癒しを受けるには、信仰が必要
「求めなさい。そうすれば与えられる(マタイ7・7)」、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる(ローマ8・28)」という御言葉が叶うためには、「その人が信仰の『底』を持っているかどうかにかかっている」と説き、自身が相手に祈りを施した体験の中で、相手の信仰がないためにいくらその人のために癒しの霊を送っても、癒しの霊が抜けていってしまうことがあったことを証しした。
吉田氏は「癒しの衣を着た器になれば癒される。衣を着る、信仰の底付けをすることが必要。いくら祈っても(癒しの霊が)抜けるのは、信仰がないから。信仰の賜物を求めなければならない」と説いた。また聖霊の油注ぎがなされることについて、「癒しの霊が下り、油に火がついて、体中の不要なものは全部焼かれて、神様の器になる」と説明した。
耳で聞いて口に出す、信仰的な言動を
神様から祝福を受ける妨げになっている問題として吉田氏は「恐れ、妬み、非難することで、祝福が来なくなります。口をチャックしてください」と注意を促した。
癒しを受けることができない原因として「サタン信仰」が背景にあることを指摘し、「我々は神の信仰を持たないといけない。神の信仰の中には愛・喜び・平和がある。なぜ日本のクリスチャンが弱いかと聞かれれば、知らない間にサタン信仰をしてしまっている問題がある。(妬みの感情から)『あの人は癒されても、私は絶対に癒されない』と思ってしまう。癒されないと思っているから、その人は癒されることがない」と説き、知らぬ間にサタン信仰に陥ることのないように注意を促した。
神様を信じ、祈りをしたときに神様が働かれるのである一方、癒しの霊は不信仰によって奪い去られていってしまうものでもあるという。そのため、まず祈る人の霊が信仰によって生き返ることによって、どのような状況でも打ち勝つことが出来るようになると説いた。
また霊的な世界の法則として「霊的なことは耳から聞いて口に出す。自分で無理だと言うと、無理だと思い込んでしまうようになる。サタンは無理だと言ってくる。霊的なことは耳から入って口に出す。否定的な事を言う人は一切相手にしてはいけない。日本のリバイバルも無理と言ったら無理になる」と述べ、そのような困難な状況の中でも「神にとって不可能がない」ということを知って行くことがキリスト者の喜びであると説いた。
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