ジョン・ウェスレー
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(最終回)世界はわが教区
メソジスト教団は海外にも勢力を伸ばしてゆき、1767年にはニューヨークに米国最初のメソジスト教会が建てられた。特に米国では教育に対する関心が高まっていたので、メソジスト派の学校も建てられ、子どものための宗教教育がなされた。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(16)母の死と不幸な結婚
1742年7月末のこと。母スザンナの病が重いとの手紙を受け取ったウェスレーは、チャールスと共にロンドンに赴いた。すでに臨終の床にあった愛する母は、かすかに目を開いて手を差し伸べた。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(15)生まれ変わった炭坑の町
ある時、ウェスレーは馬に乗って英国で最も社会問題を多く抱えているといわれている炭坑の町キングスウッドを訪れた。彼らの生活は無秩序で争いごとが多く、人間というよりは動物に近かった。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(14)巡回伝道を始める
ジョン・ウェスレーは、英国国教会から締め出されたときから巡回伝道を始めたといわれている。彼は馬に乗ってロンドン、オックスフォード、ニューゲート、アルダス・ゲート、ムーアフィールド、ウェールスに至るまで福音を伝えて回った。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(13)あめにはさかえ
その頃ウェスレーは、刑務所の改善に尽くしていたジョン・ホワードと出会い、親交を結ぶようになった。2人はたそがれ迫るロンドンの町を歩いていた。「ごらんなさい。まるで地獄だ」。ホワードは言った。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(12)嵐の中の平安
メソジスト教団はウェスレーたちのめざましい働きにより大きく成長してゆき、会員も32名を超えた。彼らはその趣旨の通り、徹底して社会から見捨てられた人々――生活困窮者、身寄りのない者、病人、そして死刑囚に寄り添い、彼らに福音を伝えて回ったのである。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(11)見捨てられた者への伝道
アルダス・ゲートの体験以来、ウェスレーは別人のように変わり、その顔は生き生きと輝き、言葉は確信に満たされていた。彼は今、何のためらいもなく、この社会から見捨てられた者への伝道を始めたのだった。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(10)アルダス・ゲートの体験
再び英国に戻ったウェスレーを友人たちや家族は喜び迎えた。そして、心からねぎらいの言葉をかけてくれたが、それをもってしても、彼の傷ついた心は癒やされることがなかった。チャールスも米国から帰って以来、肋膜を患って病床にあった。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(9)失意のどん底に
1736年2月6日。一行はジョージア州サヴァナ港に上陸した。総督オグレソープ将軍は大変に喜んで一行を迎え、官邸に招いてもてなした。以前秘書官を務めていたサムエル・クインシー牧師がこの地を去ったので、取りあえずその教会の牧師館に住むことになった。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(8)インディアンに福音を
英国からはるか遠い米国のジョージア州。ここは未開発の地で、原住民の多くはインディアンによって占められていた。英国の植民地であるために、総督オグレソープ将軍と20人の評議員によって統治されていた。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(7)悔い改める人々
1735年4月のことであった。ウェスレーは姉のエミリーから「父病重し」との手紙を受け取った。急いで弟のチャールスと共に故郷のエプオースに駆けつけると、父サムエルは骨と皮ばかりになって病床に横たわっており、一目でもう長くないことがすぐに分かった。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(6)メソジスト教団の結成
さて、大学内に賛美歌が響き渡るようになると、教授や一部の学生たちは眉をひそめるようになった。「あの人たちは会議室を使って集会ばかりやっているじゃないか。耳ざわりだよ」
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(5)隣人愛を実践する
1729年11月22日。ウェスレーは助教授および学生指導官としてオックスフォード大学から招かれた。彼は健康のすぐれない父をエプオースに置いて出るのがためらわれたが父自身の勧めから、この話を受けてオックスフォードに赴いた。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(4)エプオース村の改革
成績がずば抜けて優秀だったので、ゆくゆくは大学に残って学者か教授になるだろうと期待されたのだが、意外にも彼は健康がすぐれない父親を助けるために副牧師となり、エプオースに帰ったのだった。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(3)潔い生活への招き
高等学校を卒業したウェスレーは、オックスフォードのカーディナル・カレッジに入学した。彼は相変わらずよく勉強したが、決して無口で偏屈な勉強家ではなく、友人との会話を楽しみ、極めて自由に大学生活を送っていた。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(2)友の重荷を背負う
11歳になったジョンは、父親の友人であるバッキンガム侯爵の援助でロンドンのチャーター・ハウス校に入学することになった。彼はよく勉強し、品行方正だったので教師たちから目をかけられ、かわいがられた。
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世界はわが教区―ジョン・ウェスレーの生涯(1)猛火から救われて
1709年。英国のエプオースにあるサムエル・ウェスレー牧師の牧師館が突然猛火に包まれた。すでに飼い犬と牛が殺され、2階の窓から子どもたちが顔を出して助けを求めている。
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牧師の小窓(188)ジョン・ウェスレーの「契約の祈り」 福江等
主よ。私はもはや自分のものではなく、あなたのものです。あなたが望まれる所に私を置いてください。あなたが望まれる人々と共に私を置いてください。行うべきことを行えるように、苦しむべきことを苦しめるように。あなたのために働く者としてください。
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神の恵みを妨げる信仰者の偏狭さを超えて―ウェスレーに学ぶ「カトリックな精神」 石田聖実
使徒言行録を読んでいてしばしば遭遇することは、パウロの福音宣教を妨げるユダヤ人と、パウロを救い出す異邦人の役人です。ユダヤ人の偏狭さは、本来の神の恵みの豊かさを妨げるものとなってしまっていました。
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ジョン・ウェスレー:信仰、伝道、神を第一にすることに関する10の言葉
聖公会の司祭、神学者で、メソジスト派の基礎を築いたジョン・ウェスレーが先月28日、生誕313年を迎えた。ウェスレーは、存命中も現在においても、多くの信仰者から愛され、尊敬されている。ウェスレーが残した、信仰、伝道、そして神を第一にすることに関する10の言葉を紹介しよう。
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