ある時、ウェスレーは馬に乗って英国で最も社会問題を多く抱えているといわれている炭坑の町キングスウッドを訪れた。ここには大きな炭坑があって、ここに住む人々は一日中日の目を見ない暗黒の世界に生活していて、彼らには安息日(日曜日)もなければ、教会もなかった。彼らの生活は無秩序で争いごとが多く、人間というよりは動物に近かった。
すでに友人のジョージ・ホイットフィールドはここで伝道していた。彼はウェスレーが来たことを大変喜び、2人は協力し合ってこの炭坑の人々のために尽くすことを誓い合った。何よりもウェスレーを驚かせたのは、この地帯の子どもたちだった。ここに来た最初の日、汚らしい身なりの子どもたちがやってくると、ペッとつばを吐き、ナイフを突きつけてすごんだ。「金出しな。そうしないとぶっ殺すぞ」。まだあどけない顔の子どもたちが、町のごろつきが使うような言葉を吐き散らすのを見て、ウェスレーの胸は痛んだ。
「あのねえ」。彼は馬から降りると、彼らに語り掛けた。「私はお金を持っていないけど、もっといいものをきみたちにあげるよ」。「うそつけ! お金よりいいものなんかあるかい!」そして、そのうちの一人がナイフをかざしてウェスレーにつめ寄った。その時、一人の酔っ払いが向こうからやってきた。「このガキめが!」彼はその子を引き寄せると横つらを張り倒した。「親たちが一日中働いているってのに、てめえらは遊び回ってろくなまねしない」。そして、その腕をねじり上げてなおも殴りつけようとした。
「もうおよしなさい」。ウェスレーはその腕をつかんで引き離した。「こんな小さな子どもに乱暴するなんて。恥ずかしくないですか?」「このガキどもにみんなが手を焼いてるんだ。いっそこいつらを炭坑の中に埋め込んじまいたいよ」。そして、酔っ払いはそのままフラフラと向こうへ行ってしまった。
「いい子だね。こっちへおいで」。ウェスレーは、まだ泣いている子どもの手をとって引き寄せた。すると、周りに群がっていた子どもたちは、何かもらえると思ったのか近づいてきた。彼は両手で彼らを抱き寄せるようにすると、イエス様の話を聞かせた。不思議なことだが、ナイフで通行人を脅すような子どもたちが、彼にもたれかかるようにして話に聞き入っていたのだった。
ウェスレーは、ホイットフィールドと共に学校を建てる資金を集める傍ら、それができるまで空地に仮小屋を建てて子どもたちの教育を始めた。大人から面倒をみてもらえないこれらの子たちは、喜んで続々と集まってきた。ウェスレーたちは一日中彼らを教え、一緒に祈り、また話し相手をするのだった。
そのうちに、彼らの働きを見て感動した裕福な未亡人が2人、ウェスレーの所にやってきて高額の寄付をした上、子どもたちの面倒をみてくれることになった。さらに、この炭坑の中で毎日けんかと愚痴話に明け暮れしていた坑夫の妻たちがやってきて、子どもたちの汚れた衣服の洗濯やこまごまとした雑事をやってくれるようになったのである。
こうして、少し前までは狼(おおかみ)のように凶暴で、残忍で、恐ろしい言葉を吐き散らしていた子どもたちが、さっぱりとした衣服を着て、賛美歌を歌いながら手を取り合って歩くのを見て、キングスウッドの人々は夢でも見ているように思うのだった。そして、炭坑のそばに子どもたちの学校ができたこと、宣教師が彼らの世話をするためにやってきたこと、そしてその宣教師こそ各地の教会で悪く言われ、新聞や雑誌で罵倒されているメソジスト教派を作ったジョン・ウェスレーその人であること――などのうわさが野火のように広がっていった。
この話は町の財閥の心を動かし、ある裕福な商人が学校を建てるためと称し、ばく大な寄付をしてくれた。また新聞は「生まれ変わるキングスウッド」と称し、ジョン・ウェスレーたちがこの暗黒の地を感謝と賛美に満ちあふれる町に変えつつあることを報道した。すると、各地の実業家たちがこぞって寄付を申し出たので、ようやくウェスレーたちは待望の学校を建てるための敷地を買うことができた。チャールスは記念のために賛美歌をささげたが、この「わがたましいを愛するイエスよ」(讃美歌273番)こそ、後の世まで不朽の賛美歌として人々に愛されたものであった。
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<あとがき>
炭坑の町として知られるキングスウッドは多くの社会問題を抱え、人々は暗黒の中で生活をしていました。友人のジョージ・ホイットフィールドと共にここを訪れたウェスレーは、放任されたり虐待されたりしている子どもたちが悪に染まっていく姿を見て心を痛めました。彼らは町のごろつきが使うような言葉を吐き散らし、ナイフで通行人を脅して金を奪ったり暴行を働いたりしていたのです。
ウェスレーたちはここに学校を建てる決心をします。そして寄付金を集める傍ら、空地に仮小屋を建て、子どもたちを集めてイエス様の話を聞かせ、祈ることを教え、一日中彼らの話し相手をして過ごしたのです。その姿に感動した上流階級の人々が多額の献金をしてくれたので、この地に学校と教会を建てることができました。きちんとした身なりをした子どもたちが賛美歌を歌う姿を見て、やがて大人も教会に足を向けるようになり、この暗黒の町は賛美と祈りにあふれる町へと変わっていったのでした。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。12年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。