再び英国に戻ったウェスレーを友人たちや家族は喜び迎えた。そして、心からねぎらいの言葉をかけてくれたが、それをもってしても、彼の傷ついた心は癒やされることがなかった。チャールスも米国から帰って以来、肋膜を患って病床にあった。2人は抱き合って再開を喜び、無事に帰国できたことを神に感謝するのだった。
しかし、ウェスレーは惨めだった。今まで力を注いできた伝道が失敗だったことも彼を打ちのめしたが、何のための伝道なのか? 未開の人々に福音を伝えたいという決意は、実は自分の心の中にある虚栄心を満足させるためではなかったのか?――そうした声に彼は苦しめられていた。彼は、自分が何のために生きているのか分からなくなった。
彼はあの嵐の船の中で知り合ったモラヴィア派の人々の強い信仰のことを思い返した。そして、ロンドンの教会に赴任してきたこの教団のペテロ・ボエラーという牧師を訪ねた。そして、自分の悩みを打ち明けたのだった。
ボエラーは彼の話を聞き終えると言った。「あなたがそのような惨めな思いから解き放たれたいと思うなら、この世で最も忌み嫌われている仲間のもとを訪れ、彼らと悲しみを分け合うべきです。実は、オックスフォードの刑務所に死刑の宣告を受けたクリフォードという男がつながれています。彼は迫る死を前にして絶望しきっています。彼と悲しみを共にすることができますか?」
ウェスレーは、ただちに刑務所を訪れて彼に面会を求めた。「あんたが一つのことを教えてくれたら話をしてもいいが、お説教ならごめんだぜ」。死刑囚は言った。「おれが聞きたいことはな、さんざん悪いことをした揚げ句に死刑になるような男が、なぜ生まれてきたかということだ」
ウェスレーは、絶望している男の悲しさがひしひしと伝わってきて、同じように絶望のどん底にある自分の悲しみと一つに溶け合うのを覚えた。彼の目から涙があふれ出してきた。
「ばかな牧師だなあ。あんた、死刑囚に説教をしにきたんだろう?」囚人は肩をそびやかした。ウェスレーは、思わず両手を広げて、この不幸な男を抱きしめた。そして言った。「私も罪人ですよ。あなたと同じです」。「でも、あんたは牢に入るような悪いことをしていないだろ? 死刑になるわけじゃないからいいじゃないか」。「いいえ。あなたも私も、神様の前に同じ罪人です」
そして、ウェスレーは男の手を握りしめると、イエス・キリストに罪の許しを祈り求めるのだった。死刑囚は泣きながら言った。「ああ、おれは救われたいよ」。そこで、ウェスレーは彼に聖書を読んでやってから言った。「私たちが罪人であるからこそ、イエス様は私たちの所に来てくださった。彼は、悔い改める人間すべてを許されるのです」
そのうち、死刑囚は落ち着いてきた。「ありがとう」。彼は言った。「今まで死刑の宣告を受けた人間にそんなことを言ってくれた人はいなかった。これで落ち着いて死ねるぜ」。そして、明るい顔になって彼の手を握った。
やがてその年のイースターも終わったある日のことだった。アルダス・ゲートという所で小さな集会があり、ウェスレーも出掛けていった。チャールスはまだ病床にあり、出られなかった。重い心を引きずるようにして会場に着くと「われ深き淵より汝を呼べり」というテーマのもとに一人がルターの『ローマ人への手紙註解』を読んでいた。
その時である。彼は実に不思議な体験をしたのだった。彼はその時、時計の針がちょうど9時15分前を指していたことも記憶していた。一体自分の身に何が起きたのか言葉では表現できず、彼は日記にこう記した。
その時、私の心は不思議に燃え立ってきた(※英語ではあやしく燃える火という表現になっている)。私は自分が救われるためにキリストを――ただキリストのみを信じた。キリストが私の罪を取り去り、罪と死の中から救い出してくださったという確信をその時与えられた。
暗く重苦しい罪の重荷は取り去られ、心がのびのびと解放され、魂が高められた。彼はどんなに努力しても、血の汗を流しても得られなかった救いの確かさを今得たのである。まさに、福音が彼の血肉となった瞬間だった。
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<あとがき>
英国に戻ったウェスレーは、惨めでした。米国伝道の失敗もさることながら、自分が何のために伝道しているのか分からなくなったのです。この一番大切なものを失って、彼はあてもなく町をさまよいました。その時、モラヴィア派の牧師ペテロ・ボエラーの勧めで、彼はオックスフォード刑務所の死刑囚に福音を伝えます。実はこれこそ、後のウェスレーの「見捨てられた者への伝道」の重要な要となるのです。
それから間もなく、神様は彼に素晴らしい啓示を与えられました。これが「アルダス・ゲートの体験」と呼ばれるものです。これについては、神学者の間でも他の分野の学者の間でも物議がかもされましたが、彼らが一致して言うには、「ウェスレーは恐らくパウロやパスカルのように第三の天に上げられる体験をしたのではないか」ということでした。つまり彼自身「あやしく燃える火」と表現した通り、まさに福音が彼の中で血肉となったのでしょう。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。12年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。