さて、大学内に賛美歌が響き渡るようになると、教授や一部の学生たちは眉をひそめるようになった。
「あの人たちは会議室を使って集会ばかりやっているじゃないか。耳ざわりだよ」。「それに、うわさですが、彼らは貧民くつに行って病人と話をしたり、物乞いに食物をやったりしているそうですよ」
「ホーリー・クラブ」が盛んになるにつれ、大学内には次第に反感が高まってきた。教授たちにとってみれば、オックスフォード大学は教養のある人が集まる所であり、高度な水準を持った学問の研究機関であった。それが一部の奇妙な人たちに会議室を独占され、彼らは毎日声高らかに祈ったり、賛美歌を歌ったりし、学生に呼び掛けて祈祷会を開いたりしているのだ。さらに、集団で裏町の貧民くつに出掛けてゆき、無知で道徳的に低い人たちと交わり彼らの世話までしているというのだから、どうにも我慢できないことであった。
一方、学生たちも、教授に同調してこのグループの悪口を言い、こきおろした。彼らは授業が終わると、行きつけの酒場に行き、一杯やりながらこのグループのうわさをしたり、物まねをしてはやし立てるのが習慣になった。
「そうだ、いいあだ名を思いついたよ」。ある学生がグラスを高く上げて言った。「それは何だい?」「つまり、やつらはきちょうめん屋――メソジストだ」
「メソジスト! ぴったりじゃないか」。彼らは、どっとはやし立てた。
その頃、ウェスレーたちは、一人の男の臨終をみとるために裏町のみすぼらしい大工の家にいた。その男は、仕事中に足を滑らせて屋根から落ち、大けがをして医者からもう助かる見込みはないと言われたのだった。床にぼろぼろの布団を敷き、そこに男は横たえられていた。彼にとりすがって、妻と子どもが泣いていた。
その時、突然男は呻き声を上げた。そして迫り来る死に抵抗するように目をかっと見開き、しびれて動かない体を必死で動かそうとした。妻は、ウェスレーにすがりつくようにして頼んだ。
「先生、この人死ぬのを怖がっているんです。何とか言ってやってくださいな」。ウェスレーは、今にも息を引き取ろうとしている人の上にかがみ込み、その手をしっかりと握って聖書を読んでやった。
「あなたがたは心をさわがせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家にはすまいがたくさんある」(ヨハネ14:1〜2)
すると、男はしきりに胸の上で十字を切っていた。その意味を感じ取ったウェスレーは、器に水を入れてきてもらい、死にゆく者に洗礼を授けた。「父と、子と、聖霊の名によって、あなたにバプテスマを授けます」。その場にいた者たちは、声をそろえてアーメンと言った。
すると、その時である。恐怖と苦痛に歪んでいた男の顔が変わり、平和と喜びに満たされ、彼はまるで遠くの空を仰ぐように目を上げた。それから、感謝するようにウェスレーの方を見て笑った途端に、息が止まった。最後に、疲れた労働者がその仕事をなし終えたときのように、ほっと幸福そうな吐息がその口から漏れたのをウェスレーは聞いた。
すでに汚らしい部屋は神聖な場所に変わっていた。ウェスレーは小さな娘の手を握りしめると言った。「お父さんはね、神様を信じて平安のうちに天に召されたんですよ。あなたもイエス様を信じていたら、また天国でお父さんに会えますからね」
「先生」。その時母親はきっぱりと言った。「ありがとうございました。私どもも勇気を出して、何とかやっていきます。私と娘にもどうか洗礼を授けてくださいまし。そうすれば、天国で主人と会ったとき、喜び合えますから」。その場で、母と娘もただちに洗礼を受けた。
「これを葬式の費用にしてください」。その時、ジョージ・ホイットフィールドがポケットからありったけの小銭を出してこう言うと、「ホーリー・クラブ」の者たちもわずかずつ小銭を集め、1ポンドほどになった。彼らはこれを母親に渡して、この家を出た。
「よう、メソジストの先生方!」家の前にいた学生たちがはやし立てた。「きちょうめん屋さんたち!」しかしこの時、ウェスレーたちはこのあだ名を喜び、自分たちの教団の名称としたのだった。
*
<あとがき>
「ホーリー・クラブ」という小さな祈りのグループが、やがては伝道と社会事業によって暗黒の英国に光をもたらすようになろうとは誰が予測したでしょうか? その中には不思議な神様の摂理があったのでした。「メソジスト」という言葉は、英語で「きちょうめん屋」との意で、大学の中で生まれたあだ名でした。ウェスレーたちに反感を持つ教授や学生たちがこの祈りのグループをこう呼んではやし立てたのですが、彼らはこれこそ自分たちの活動にふさわしい名前だとして神様から頂戴したのでした。
「メソジスト教団」はこうして生まれ、やがて素晴らしい活動の第一歩を踏み出しました。刑務所伝道、病院や孤児院訪問、炭坑の町での教育活動など、まさに社会から見捨てられた人々に向けて力強く福音が語られ、その生活への支援がなされたのです。まさに、英国の地獄のような無法地帯に、恩寵の光が射し込んだ瞬間でした。
◇
栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。12年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。