1729年11月22日。ウェスレーは助教授および学生指導官としてオックスフォード大学から招かれた。彼は健康のすぐれない父をエプオースに置いて出るのがためらわれたが父自身の勧めから、この話を受けてオックスフォードに赴いた。
弟のチャールスもすでに学位をとり、この大学に在籍していた。2人は再会を喜び、友人のウィリアム・モルガン、ロバート・カークハムも加えて集会を持つことを決めた。彼らは週2回、学校内の決められた場所に集まり共に祈り、聖書を読み、互いに励まし合った。そのうちこの集会は参加する人も増えたために会議室を借りることになった。
そのうち、メンバーの一人のモルガンが、ただ聖書を読み共に祈るだけではなく、社会に出て「隣人愛」を実践していこうではないかと提案した。一同はその言葉に打たれ、集会の合間にこの町に住む病人や物乞い、身寄りのない人々を訪ね、慰めることから始めた。
町の中央通りから一歩裏町に入ると、恐ろしい世界が展開した。汚らしい身なりをしてうろつき、お金をせびる子どもたち。彼らは通行人に悪態をつき、何人か組になってスリや万引きをしていた。むっとするような悪臭漂う町中には、酒に酔ってけんかをする者や昼間からふざけ合って下品な声を上げる男女もいた。また、なすこともなく辻にうずくまっている体の不自由な者や物乞いもいた。近所の家々からは口汚くののしる声や怒鳴り声が聞こえる。
そうした家々を訪ねるうちに、誰からも面倒をみてもらえず、一人寂しくわらの寝床に横たわる病人や、大勢の子どもを抱えて内職をしているどん底生活の女性たちが多いことにウェスレーたちは衝撃を受けた。彼らは病人の枕元に座って聖書を読み、祈ってあげた。また、生活に疲れた人にはイエス・キリストの愛と、この暗い世にあってもなお望みを持って生きるべきことを伝えた。自殺しようと1本の縄を枕元に置いた病人もいた。不治の病に侵され、生きる希望を失っていたのだ。ウェスレーたちは、彼の手を取って聖書の中から慰めの言葉を語った。
「ありがとうございました」。病人は涙を流して言った。「まだ自分にできることがあるということが分かりました。家族や、もっと気の毒な人のために祈ることにいたします」。こうして彼らは、町の辻から辻へと歩き、絶望している人たちにキリストの恵みを伝えて回ったのだった。
「ばかやろう! 何を寝言言ってるんだ!」心の荒れすさんだ人は、こう罵声をあびせかけ、石を投げつける者もいた。しかし、これらの人々の心に、神の慰めの言葉は少しずつ入っていったのだった。
この集会が始まって1年ほどたった頃、ジョージ・ホイットフィールドが入ってきた。彼こそウェスレー兄弟と終生うるわしい友情で結ばれた人物だった。ホイットフィールドは大胆にイエス・キリストの恵みを証しして、たちまち皆の注目を集めた。彼が入ってしばらくたつと、この集会は大きく盛り上がり、「ホーリー・クラブ」という名が付けられた。その名が示すように、この会の趣旨は神に喜ばれる潔(きよ)い生活をすることにあった。互いに励まし合いながら信仰に堅く立ち、絶えず向上していくために熱心に勉強すること。そして社会に出ていって生きる望みを失いかけている隣人に奉仕し、キリストの恵みを伝えること――これが二大原則であった。
その年の8月24日のこと。「ホーリー・クラブ」のメンバーが集まって祈っているうちに、一同は神の愛に迫られ、心が熱く燃え立つのを覚えた。
「皆さん、この『ホーリー・クラブ』こそ、この暗黒の英国社会に光を掲げ、キリストの生きた証人となるものではないでしょうか」。ホイットフィールドが突然叫んだ。「この小さな祈りの団体が、もしかしたら英国を変えるほどの力強い働きをするようになるかもしれません」
「私の父がよく言っていました」。ウェスレーも、頬を紅潮させて言った。「信仰復興の運動が必ずこの英国に起こるということを。そして、罪と不信仰の中にあって暗黒の生活を送っている多くの人が救われるようになるということを」
「この『ホーリー・クラブ』がその初穂となるのですね」。チャールスも顔を輝かせて言った。一同はその場にひざまずき、時が来たら、われらをそのためにお用いください――と祈るのだった。
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<あとがき>
「潔めの信仰」とか「潔い生活をする」と言うと、現代の人たちは、酒・タバコをやらずギャンブルはもちろんのこと、あらゆる享楽を遠ざけ、ひたすら祈りと善行に励む――といったことを想像するに違いありません。しかし、本当は、潔めというのは、こうした生活習慣や生活態度を指すのではなく、まず自分が一人の罪びとであることを自覚し、それにもかかわらず罪ゆるされ、あふれるばかりの恩寵の中で生かされていることへの感謝そのものを言い表すことなのです。
それ故、ウェスレーたちが小さな祈りのグループ「ホーリー・クラブ」を作ったとき、まず社会の底辺にある人に福音を伝え、またできる限り生活の援助をしようとしたのは、そうした神の愛に対する感謝のしるしとして、隣人愛の実践をしたことにほかなりません。まさにヤコブの手紙で述べられているように「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を潔く保つことにほかならない」のであります。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)、2003年『愛の看護人―聖カミロの生涯』(サンパウロ)など刊行。12年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。その他雑誌の連載もあり。