聖公会の司祭、神学者で、メソジスト派の基礎を築いたジョン・ウェスレーが先月28日、生誕313年を迎えた。ウェスレーは、存命中も、また現在においても、多くの信仰者から愛され、尊敬されている。
ウェスレーは、社会的な問題とその義に大きな価値を置いた。また、その指揮の下、メソジスト派は、教育、刑務所改革、奴隷制度の廃止を含む数多くの社会問題に対する運動を先導していった。
ウェスレーは、実際には1703年6月17日に生まれた。しかし、英国では1752年にグレゴリオ暦が採用され、11日が追加されたため、ウェスレーは、自身の誕生日を6月28日として祝うようになったという。ケネス・コリンズ著の『ジョン・ウェスレー:神学的旅路』(原題:John Wesley: A Theological Journey)によると、ウェスレーは「彼自身がいかに素晴らしく健康であるかという自慢をよく話していた」という。ウェスレーは1791年3月2日、87歳でこの世を去った。
ここでは、ウェスレーが残した、信仰、伝道、そして神を第一にすることに関する10の言葉を紹介しよう。
1. 私はキリストの全てを私の救い主としたい。聖書に書かれている全てを私の本としたい。教会の全てを私の仲間とし、全世界を私の宣教の地としたい。
2. できる全ての良いことをしなさい。何が何でも。あらゆる手段を持って。あらゆる場所で。あらゆる時に。あらゆる人に。あなたが可能な限り。
3. 燃えなさい。そうすると、周りの人が、あなたが燃えているのを見ようと来たくなる。
4. 罪以外のものを恐れず、神以外のものを求めない100人の説教者を連れて来なさい。その人たちが聖職者であるか、平信徒であるかを私は気にしない。このような人たちが、地獄の根源を揺り動かし、この世に天の御国を造るのである。
5. 私のお金をいくら神にささげるかではなく、神のお金をいくら私が持っていたらいいのか、である。
6. 悪魔が、説教がなされている場所を好まないというのは当たり前です!私もまた、説教がなされていない場所を好みません。私は、広い部屋、柔らかいクッション、立派な説教台は好きです。しかし、1人の魂を救うために、もしそれら全てのものを捨てることがないとすれば、どこに私の情熱はあるのでしょう。
7. 神は、信じて祈ったことへの応答以外に、何もなさいません。
8. 私たちは似た考えを持てないと、愛すことができないのでしょうか? 1つの意見を持てなければ、1つの心にはなれないのでしょうか? いいえ、心配や懸念を全く持たずに、私たちはそうすることができます。小さな違いにかかわらず、全て神の子は一致することができるのです。
9. うわべだけの行いは、新しい誕生の場には成立しない。そこに成立するものは、天の下においては何もない。
10. 若い頃、私は全てのことに確信を持っていた。数年の内にたくさんの失敗をし、多くのことについて以前の半分も確信が持てなくなった。そして現在、私はほとんど何事についても確信を持てない。しかし、神が私に明らかにしてくれたことなら確信が持てる。