祈るという行為は、この世で最も強く、偉大で、影響力のあることの1つといえるのではないだろうか。私たちは、祈りを通して、神に話したり、必要をお願いしたりすることができ、神が自分の祈りに応えてくださることを期待する。事実、神は祈りに応えてくださる。なぜなら、神は良い、素晴らしい父であるからだ。
しかしながら、時に祈りの答えは「ノー」となることもある。神が祈りに応えてくれないとき、もしくは、希望していた結果ではなかったとき、どうしたら良いのだろうか。そんな時、「神様は私の祈りに応えてくれない」と言い腹を立て、祈ることをやめてしまう人もいるだろう。だが、たとえ祈っていた通りにならなくても、神は全ての祈りに対して確実に応答をされていることを私たちキリスト者は知っている。
あなたは祈り方についてもっと知りたいだろうか? そして、神にあなたのする全ての祈りに応えていただきたいだろうか? もしそうなら、聖書から祈りについて学んでいく必要がある。
1. 神の御心に沿って祈る
「完全な道を歩く人に主は与え、良いものを拒もうとはなさいません」(詩編84:12)。この箇所から分かるのは、私たちは神を喜ばせることが何なのかを知り、祈らなければならないということだ。あなたは今まで、自分が頼んだことを本当に快くやってくれるような人に、頼み事をしたことがあるだろうか。これと同じで、私たちが神を喜ばせる祈りをするなら、私たちは祈りの結果を受け取ることが保証されているのだ。
ヨハネの手紙一5章14、15節には、「何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。わたしたちは、願い事は何でも聞き入れてくださるということが分かるなら、神に願ったことは既にかなえられていることも分かります」とある。
2. 信仰を持って祈る
私たちの必要や請願を神に申し立てたところで、神が応えてくださることを信じないなら、その行為自体にどんな意味があるのだろうか。私たちは信仰を持って祈る必要がある。神に信頼しよう! 神が必ず応答してくださると信じよう!
主イエスは、信仰を持って祈るべきであると述べている。イエスは、「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」(マタイ 21: 22)と語った。
3. ふさわしい動機で祈る
確かに、完全な道を歩く人に主は与え、良いものを拒もうとはなさらない。しかし、神は、間違った動機や意図、また不道徳から来る神を喜ばせない祈りには応えられないのだ。ヤコブの手紙で、聖書はこのように語っている。
「あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです」(ヤコブ4:2、3)
私たちは、ただがむしゃらに自分の欲しいものを祈るべきではない。私たちは、何でも祈って良いが、ふさわしい動機を持っているということが重要だ。また、神は私たちの言葉に耳を傾けるが、同時に心を見るということも忘れないでほしい(参照:サムエル上16:7)。